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アモスの告げた主の言葉
アモス8:4-12
2019年9月22日・ 聖霊降臨後第15主日
奈良基督教会にて
今日は、最初に朗読された旧約聖書のアモスの言葉に耳を傾けたいと思います。アモスは紀元前750年頃に活動した預言者です。
わたしの素朴な、しかし心からの願いを言うなら、救い主イエス・キリストを皆さまとともに深く知りたい、その愛と力と導きによって歩みたい、ということです。そのイエス・キリストに、過去から深く流れ込んでいたものがあります。イエスさまがそれをはっきりと継承しておられたものがあります。それは何かと言うと、旧約聖書の預言者の精神です。預言者の祈り、預言者の情熱、預言者が見た世の中の現実とそれに対する神の言葉──それらがイエスさまに流れ込んでいたのです。預言者を知ることによって、わたしたちはより深くイエスさまを理解できるようになります。
アモスが見ていたのは、当時のイスラエルの国の不正に満ちた現実です。今日の冒頭を読んでみましょう。
「8:4 このことを聞け。貧しい者を踏みつけ、苦しむ農民を押さえつける者たちよ。5 お前たちは言う。『新月祭はいつ終わるのか、穀物を売りたいものだ。安息日はいつ終わるのか、麦を売り尽くしたいものだ。エファ升は小さくし、分銅は重くし、偽りの天秤を使ってごまかそう。6 弱い者を金で、貧しい者を靴一足の値で買い取ろう。また、くず麦を売ろう。』」
悪徳商人たちが心に思いひそかに語っている言葉を、神が聞いておられます。新月祭の間は、安息日は、礼拝の日だから働けない。早くそれが終わってほしい。そうしたら不正な仕方で大もうけをしようというのです。
「分銅は重くし、偽りの天秤を使ってごまかそう。」
貧しい農民から麦を買うとき、分銅を重くすれば決まりよりもたくさんの麦を安く手にすることができる。貧しい農民はますます貧しくなり、ついに生活できなくなります。
「6 弱い者を金で、貧しい者を靴一足の値で買い取ろう。」
生きた人間を靴一足の値段で奴隷として買い取る。このようなことが社会にまかり通っている。
当時のイスラエル王国はヤロブアム2世という王さまの時代で、領土は拡大し、国は繁栄しているように見えました。しかしその繁栄は、貧しい人々のおびただしい犠牲の上に成り立っていたのです。ただ悪徳商人だけが悪いのではありません。そのような存在と活動を成り立たせている国のあり方全体が歪んでいる。そのおおもとには、精神の堕落、信仰の堕落がありました。
こういう中でアモスは、神さまから何度も幻を示され、また言葉を与えられて、「このままでは国は滅びてしまう」と公然と語るようになりました。好きで語るのではないのです。このひどい現実に直面したとき、心が疼く。神がアモスをとおして語られるので沈黙していられないのです。彼はこう言いました。
「3:8 獅子がほえる、誰が恐れずにいられよう。
主なる神が語られる、誰が預言せずにいられようか。」
ついにアモスは、イスラエル王国の神殿のあるベテル、国の聖地とも言うべきベテルで、こう語りました。
「ヤロブアム王は剣で殺され、イスラエルの人びとは別の土地に連れ去られてしまう。」(7:11参照)
こうしてアモスは語ることを禁じられ、イスラエル王国から追放されてしまうのです。
アモスには神さまの声が聞こえます。
「8:7 主はヤコブの誇りにかけて誓われる。
『わたしは、彼らが行ったすべてのことを、いつまでも忘れない。』
8 このために、大地は揺れ動かないだろうか。そこに住む者は皆、嘆き悲しまないだろうか。」
ただアモスが嘆いているというのではありません。主なる神さまご自身が、大地を震わせるほどに嘆いておられるのを、彼は聞くのです。
これはただ遠い昔の話でしょうか。
東日本大震災の際、東京電力福島第一原子力発電所は大事故を起こしました。核によって汚染された土や水は処理不可能です。しかもこれら有毒の核のゴミは果てしなく増え続ける。仕方がないから汚染された土は学校の庭に入れ、汚染された水は海に流すという。恐ろしい影響を受けるのは子どもたちであり、そして漁業で生計を立てている人たちです。そこからさらに危険は拡大していきます。
信仰的に言えば、日本の国には、日本政府の政策には、悔い改めが起こらなければならなかった。エネルギー政策を改めて原子力を用いないと決めるべきであった。しかしそうはせず、各地の原子炉の再稼働を認めるばかりか、外国にまで原子力発電所を新たに売ろうとしている。莫大な利益を見込んでいるからです。
「このために、大地は揺れ動かないだろうか。そこに住む者は皆、嘆き悲しまないだろうか。」
こうしてアモスはさらにきびしい言葉を告げなければなりませんでした。
「8:11 見よ、その日が来ればと、主なる神は言われる。
わたしは大地に飢えを送る。それはパンに飢えることでもなく、水に渇くことでもなく、主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ。
12 人々は海から海へと巡り、北から東へとよろめき歩いて、主の言葉を探し求めるが、見いだすことはできない。」
食べるものを食べなければ飢餓が起こる。それと同じように、信仰と精神の飢餓がやがて起こる。神の呼びかけを聞こうとしないこの国に、神ご自身が「主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇き」を送る、と言われるのです。
生きるには食物が必要であり、魂と信仰の生活のためにはみ言葉が必要です。食べなければ体は衰弱します。自分でも気づきます。けれどもこわいのは、主の言葉、み言葉を聞かず、祈らず、そのままにしていても、精神は弱っていくのにそれに自分では気づかない、ということです。そのまま進めば危機的です。
アモスは今日のわたしたちに対しても警告を発し、命の言葉を求めるように呼びかけています。アモスをとおして神が言われるのはこの言葉です。それがアモス書に響きわたっています。
「5:4 まことに、主はイスラエルの家にこう言われる。
わたしを求めよ、そして生きよ。」
主を求めて生きよ!──これが時代を超えてアモスがわたしたちに呼びかけている声です。
イエス・キリストはわたしたちの糧となるために、人となっておいでになりました。弱ってほしくない。滅びてほしくない。わたしの言葉と体を食べて生きなさい!
このイエスさまに、アモスの、預言者たちの精神が流れ込んでいるということをはっきりと知らなければなりません。イエスさまを信じるということは、自分自身を整えることであるとともに、この社会の歪みや不正に対して敏感になることです。苦しみを受けている人びとの声を聞くことができますように。なすべきことをなすことができますように。
祈ります。
神さま、わたしたちを教えてください。イエスさまに流れ込み、イエスさまを生かしていた預言者の精神をわたしたちにも与えてください。命の糧となって来られたイエスさま、わたしたちをみ言葉の飢饉、飢餓から救い、深くまっすぐに信仰の道を歩ませてください。アーメン