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【講話】神の愛の火──聖霊降臨日に寄せて 2020/05/31
使徒言行録2:1-4
コリント一 12:4
2019年6月11日
奈良朝祷会(奈良YMCAにて)
この前の主日、6月9日は聖霊降臨日(ペンテコステ)でした。
今からおよそ2000年前の日曜日。復活の主イエスを天に送ってから10日後の主日。人々が集まって祈っていたとき、聖霊の火が降(くだ)りました。神の愛が炎のように燃えて降って来て、一人ひとりの上にとどまりました。集まって祈っていた人々の心は、神の愛の火を受けて熱く燃えました。
「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」使徒言行録2:1-4
これが教会を誕生させました。こうして福音の伝道が始まりました。聖霊の火は世界に広まり、日本に至り、奈良のこの地に至りました。聖霊の火が燃えたので、聖霊の働きに動かされたので、聖霊の賜物をいただいたので、ここにいつくもの信仰共同体である教会、祈りの家である教会が誕生しました。その歴史、そのつながりの中にわたしたちはいます。
ところで最初の教会を誕生させた聖霊の火は、三つのことを人々にもたらしました。
第1は、人々の心を喜びで満たした、ということです。何が喜びであったか。
イエス・キリストがはっきりとわかったのです。イエスさまが生まれて生きて死んで復活されたことが、わたしたちの救いであり希望である、ということがわかった。イエスの声、イエスのまなざし、そしてイエスの存在そのものがわたしたちの前に、わたしたちの傍らに、さらにわたしたちの内側に臨んでおられる。イエスが生きておられるのでわたしたちも生きることができる。神の愛を、神の救いを、イエス・キリストにおいて決定的に知ったのです。
聖霊の火がもたらした第2のことは何でしょうか。今日の使徒言行録の続きに記されています。ペテロはイエス・キリストの十字架と復活を集まってきた人々に語りました。
「人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、『兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか』と言った。」2:37
「大いに心を打たれ」と訳された言葉は、端的に言えば「心を突き刺された」という意味です。韓国語の聖書ではそのとおり「マウメ チルリョ(마음에 찔려)」と訳されています(改訳改訂版)。
十字架に釘打たれて血を流すまでに人を愛されたイエス・キリストの前に立ったとき、自分がいかに間違った生き方をしてきたかを人々は痛切に感じたのです。
それまで人々は怠惰であったかもしれないし、反対に熱心であったかもしれません。積極的であったかもしれないし、消極的であったかもしれません。自分を誇って高慢であったかもしれないし、反対に自分を卑下していたかもしれません。けれども人々は罪を知りませんでした。自分に固執することは知っていたけれども、自分が砕かれるということは知りませんでした。
しかしペテロの言葉をとおしてイエス・キリストを知ったとき、自分の過ち、自分の頑なさと破れ、神への背きを知った。人を愛するということを知らなかったことを知った。そのような古いままの人々の心を、神の愛の火は焼いたのです。人々は神の愛の火によって清められたのです。
「わたしたちはどうしたらよいのですか。」
「すると、ペトロは彼らに言った。『悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。』」
使徒言行録2:38
この日、イエスを信じて洗礼を受け、新しい人として出発した人は3000に達したと言われます。このペテロの言葉の終わりに注目しましょう。
「イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」
洗礼をとおして受けるのは聖霊だというのです。洗礼は神の愛の火をいただくことなのです。
聖霊の火がもたらす第3はこれです。神の愛の火は、恵みの賜物を一人ひとりに与える、ということです。
「賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。」コリント一 12:4
神の愛の火である聖霊は、一人ひとりにそれぞれ良き恵みの賜物をお与えになります。わたしたちはこれを受ける。いただく。すでに受けているし、さらにそれをはっきり知って、これを神さまの人々のために生かすようになる。神の火がそれをさせてくださるのです。
祈ります。
神さま、あなたの愛の火である聖霊をわたしたちに与えてください。聖霊によってあなたと人を愛して生きることができますように。主イエス・キリストのみ名によってお願いいたします。アーメン