- - 【説教】夕べになっても光がある
- - 【聖餐式の言葉 15】天におられるわたしたちの父よ(主の祈り)
- - 【聖餐式の言葉から 14】取って食べなさい
- - 【説教】見よ、その方が来られる
- - 【説教】終わりまであなたの道を
- - 【説教】牧者となられるイエス
- - 【説教】わたしを憐れんでください──バルティマイの叫び
- - 【講話】イエスが祈られた「主の祈り」
- - 【説教】背いた者のために執り成しをしたのは
- - 【説教】御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ
- - 大韓聖公会ソウル教区 金エリヤ主教 就任の辞
- - 【説教】ねたむほどに愛される神
- - 【説教】慰め励ましてくださる神
- - 【一日を終える祈り】
- - 【説教】悪魔の策略に対抗して
- - 【国境を越えて老司祭と分かち合った尹東柱の物語】
- - 【礼拝のための祈り】
- - 【説教】あなたこそ神の聖者
- - 【説教】命を得るために
- - 【聖餐式の言葉から 13】
【説教】うめきをもって 執り成してくださる聖霊
ローマ8:26
2020年7月26日・聖霊降臨後第8主日
京都聖三一教会にて
今日の福音書の中でイエスさまはこう言われました。天の国のたとえです。
「畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。」マタイ13:44
このたとえを話されたとき、イエスはどういう気持ちで話されたのでしょうか。
「畑に宝が隠されている。」見つけてほしい。すばらしい宝が眠っている。いや、発見されるのを待っている。だからそれを見つけて、自分のものにしてほしい。そしてわたしと一緒に喜んでほしい。これがイエスさまの思いです。
さてその畑とはどこにある、どんな畑でしょうか。わたしたちの前にある聖書。これが畑です。聖書の中に宝が隠されている。それを発見して喜んでほしいのです。今日は聖書の中から一つの大切な宝を、ご一緒に発見できることを願います。
もう初めに言ってしまいますが、今日の聖書の中にわたしたちのために用意されている宝とは、“霊”です。神の霊、聖霊、その働きです。
今日の使徒書はこう始まっていました。
「同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」ローマ8:26
“霊”、神の霊、聖霊がわたしたちのためにおられる。よくわからないなあと思っても気にしないで、ここに何と書いてあるかに近づいてみましょう。
まず「“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。」
神の霊、聖霊はわたしたちを助けてくださる。これが第一に心にとめたいことです。聖霊が助けてくださるのはわたしたちです。しかも「弱いわたしたち」。
わたしたちは強かったり弱かったりします。しかしここで言われているのは、わたしたちは皆、祈ることにおいて弱い、ということです。続きにこう言われています。
「わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが……」
課題、困難、心配、不調、不安を抱えて、わたしたちは祈ります。祈りたいと思います。けれども十分に祈れない。この祈りが確かに神さまに届いているかどうか自信がない。いくら祈ってもつらい状態が変わらない。何をどう祈ればいいのかわからない。──これがわたしたちの弱さです。しかしこの、信仰において弱い、祈ることにおいて弱いわたしたちを、聖霊が助けてくださる、というのです。
「わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」
ここで大切なことは「“霊”自らが」です。わたしたちがしっかりしているからではなく、わたしたちがこう努力するからではなく、わたしたちがどうであれ、霊自ら、聖霊ご自身が自ら働いてくださる。その際、聖霊は「言葉に表せないうめきをもって」働かれる、というのです。聖霊が、神の霊がうめかれるとはどういうことなのでしょうか。
ここでイエスさまがその生涯においてうめかれた場面をひとつ思い出します。マルコ福音書第7章に記されている話。イエスは遠く外国まで巡回して、またガリラヤ湖に戻ってこられたときのことです。
「人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、『エッファタ』と言われた。これは、『開け』という意味である。」マルコ7:32-34
ここでイエスが「天を仰いで深く息をつき」というところ、「深く息をつき」は、ギリシア語原文を見るとローマ書第8章と同じ「うめき」「うめく」という言葉が使われています。
イエスは、自分のところに連れて来られたその「耳が聞こえず舌の回らない人」に出会って、深く心を痛められました。この人の言葉にできない苦しさを感じて、この人のつらさがご自分のつらさになって、深くため息をつかれた。その人の苦しみがイエスの苦しみになってご自身がうめかれた。
そうしてこの人に向かって「エッファタ」と言われた。これは、「開け」という意味である、と書いてあります。
「すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった。」7:35
この人のためのイエスの祈りはうめきとなって天に届き、イエスの言葉はこの人を助けて新しい人生を開きました。
イエスがその人のためにされたことを、聖霊がわたしたちのためにしてくださる、というのが今日の聖書です。
「わたしたちはどう祈るべきかを知りません」
どう祈っていいかわからない。
祈って神さまに近づいて、神さまに解決していただきたいと思うのですが、それができない。祈っても神さまには届かない気がする。あせり、疲れて、無力を感じる。しかしそのようなわたしの中で、神の霊がわたしと共にうめいてくださるのです。祈りにならないわたしの苦しい胸のうちを聖霊が引き受けてうめかれる。わたしたちのために、聖霊が神に向かってうめかれる。これが二つ目に心にとめたいことです。
「”霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、”霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」8:26
三つ目に心にとめたいことは「執り成し」です。聖霊はわたしたちのために、わたしたちのことを神に執り成してくださる。執り成すとは、間に立って結び合わせることです。神さまとわたしたちの間の橋渡しをし、わたしたちの抱えているどうにもならない事柄をわたしに代わって神さまにしっかり届けてくださる。
わたしが祈ることをやめても休んでも、聖霊はわたしの中でうめいて、神に向かって叫んでおられる。わたしが自分のことを知っている以上に、聖霊はわたしのことを知っておられます。聖霊がわたしのために切に祈って執り成していてくださる。──これが、今日、わたしたちが発見すべき聖書の中の宝です。
三つのことを聞きました。聖霊はわたしたちを助けてくださる。聖霊はうめかれる。そして聖霊はわたしたちのことを神に執り成してくださる。
厳しい状態の中でひどく苦しんで、祈れなくなってもよい。聖霊が祈っていてくださる。疲れたときは休んで、委ねておいていいのです。しかしやがて聖霊はわたしを回復させてくださいます。わたしの中で神に向かってうめかれる聖霊はわたしを支えてくださり、やがてわたしを癒してくださる。聖霊による治癒が起こります。聖霊のうめきはわたしを回復させてくださいます。そうしてわたしは元気づけられて、わたしは新しく祈ることができるようになるのです。
聖霊はわたしの誕生において、そして洗礼をとおして、わたしの中に吹き込まれました。貴い宝は聖書のみならず、わたしの中に与えられていたのです。
神さま、わたしたちがどう祈ってよいかわからないとき、わたしたちの中で聖霊がうめき祈っていてくださることを教えてください。聖霊がわたしたちを癒してくださり、新しく祈るわたしたちにしてくださいますように。主イエス・キリストのみ名によってお願いいたします。アーメン