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【平和礼拝説教】わたしの魂は主をあがめ
ルカ1:46-55
大阪・京都教区合同 平和礼拝
2015年8月15日・主の母聖マリヤ日
奈良基督教会にて
本日8月15日は「主の母聖マリヤ日」。マリアが地上の生涯を終えて神のもとに召されたことを記念する日です。それが日本の敗戦記念日でもあります。
マリアがまだごく若かった10代の半ば過ぎでしょうか、ヨセフと婚約しました。そしてまだ正式に結婚する前に、彼女は子どもを宿しました。これは当時のユダヤの社会にあっては大変な出来事でした。律法によれば、婚約者以外の男と深い関係を持った女は石打ちの死刑。実際にそこまではなされなかったとしても、マリアは「お言葉どおり、この身に成りますように」(ルカ1:38)と神に従う決意と希望をあらわしつつ、一方では不安で彼女の胸は震えていたのではないでしょうか。
マリアは急いで親類のエリサベトを尋ねました。マリアが、自分の身に起ったことを打ち明けることのできるのは、この時、このエリサベトのほかに考えられなかったのです。ルカ福音書にはこう記されています。
「マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。『あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。』」(ルカ1:41-42)
予期しなかったことでした。マリアとエリサベトの間に喜びと神への賛美が湧き起こりました。マリアが主を信じながらも抑えることのできなかった不安は平安に、おののきは喜びに変りました。主がなさったことをともに喜び、主がこれからなさろうとしている業をすでに起ったことのように確信してともに喜ぶ。マリアとエリサベトの出会いは、お互いの励ましとなり、主への賛美となり、これからなされようとする神の業に喜んで自分も仕えようとする決意となりました。
「そこで、マリアは言った」(ルカ1:46)から始まる今日の福音書は、そのマリアの思いのほとばしりの歌です。
ところでわたしはこの8月15日、主の母聖マリヤ日の聖餐式で、同じこの福音書の箇所で説教したことがあるのを思い出しました。1993年、今から22年前の8月15日、ちょうど日曜日。場所は東京の神田基督教会。大きな行事の最中でした。何かというと、日本聖公会と大韓聖公会が当時、毎年「日韓聖公会宣教セミナー」を開いていて、その5回目でした。わたしは主催側のひとりでした。前日の土曜日、わたしたちは韓国の方々数十人を案内して靖國神社に行ったのです。参加者、とりわけ大韓聖公会の方々は一様に非常なショックを受けられました。自分たちを苦しめ、傷つけ、殺した日本の軍人たちを「英霊」として祭っている。日本は自分たちの歴史を美化、正当化し、いまも韓国人を苦しめ続けている。そういう憤りと嘆きの声が湧き上がっていました。
その翌日の日曜日がちょうど8月15日。前日の失望と興奮がさめない中で説教したときの緊張を今も思い出します。マリアの賛歌を日韓在日が心から一緒に歌うことができるようになりたい。歴史の事実の認識と、加害者の側に立つ者(日本と日本人)の悔い改めをとおして、その道を求めたい──そういった趣旨をこめたのでした。
ところで今日は、この奈良基督教会に関わるひとつの出来事をお話しします。大阪教区にも関係する話です。
今から92年前の1923(大正12)年9月1日に大きな地震と災害が起こりました。関東大震災です。10万人余りが死亡または行方不明になったと言われます。大震災の被害のものすごさに加えて、その時、もうひとつの大きな悲劇が起こりました。震災後の不安な空気の中で、根も葉もない噂が広まったのです。
どういうものかと言うと「朝鮮人が井戸に毒を撒いた」「朝鮮人が村を襲っている」などといった事実無根のでたらめな噂でした。ところがそれを信じ込んだ人たちが、震災で逃げ惑い、あるいは避難している人たちを次々に検問し、朝鮮人と見ると有無を言わさず殺してしまうという恐ろしい事態が発生しました。普段は善良なはずの市民が、狂ったようになって朝鮮人を殴り、突き刺して殺すのです。犠牲になった人は4000人とも6000人とも言われます。
その渦中に張準相(チャンジュンサン)という当時22歳の朝鮮人留学生がいました。彼はこの奈良基督教会の信徒で、当時は同じ聖公会の立教大学予科に学ぶ学生でした。張準相青年は命からがら東京を脱出、この奈良基督教会に助けを求めました。この教会をとおして神に助けを求めたのです。
当時、奈良基督教会の牧師は吉村大次郎司祭でした。吉村先生はこの礼拝堂(今年2015年に重要文化財指定)を建てるのに尽力された方です。この礼拝堂が建てられて聖別されたのは1930年ですから、それより7年前です。当時礼拝堂は石段の下にあったそうですが、将来この丘の上にしっかりした礼拝堂を建てよう計画し、その実現のために情熱をもって祈っていた時期だと思います。
話を戻します。逃れてきた張準相青年は今にも日本人が自分を殺しに来るのではないかと恐怖を抑えることができません。その話を聞いた吉村司祭は、日本刀を持って来て、張準相青年にこう言ったそうです。
「あなたをもし、殺そうとしてだれかがやって来たら、この日本刀でわしを殺してからにせよと言ってやる。絶対にあなたを見放しはしない。」
そのようにして張準相青年はこの奈良基督教会で守られ、ここで自分を決して見捨てないイエス・キリストの愛に触れました。このキリストの愛を苦難のうちにある同胞に伝えたいと決心し、牧師になるために、その年の12月、ここから送り出されて福岡神学校に入学したのでした。
ここに教籍簿の写しがあります。これによれば、張準相先生は当時の日本統治下の朝鮮のメソジスト教会で大正8(1919)年──三・一独立運動の年の秋──に洗礼を受け、1923年、あの大震災の年4月15日に大阪聖パウロ教会で堅信を受けておられます。教籍簿にはこう記されています。
「同人は当教会(奈良基督教会)に於て按手準備をせし者なるが、受式を急ぐ理由ありて大阪聖パウロ教会に託せし者なり」
立教大学での新学期の生活に戻る前に堅信を受けたい、と急がれたのではないかと推測します。
命の危険から救われた張準相青年は、奈良の当時の礼拝堂で、心を注ぎ出して祈ったに違いありません。感謝と賛美と決意を。マリアに尊い使命を託された神さまは、張準相青年に特別の使命を託されたのです。張準相青年の中にマリアの賛歌が響いていたかもしれません。
「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
身分の低い、この主のはしために[も]、目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人も、わたしを幸いな者と言うでしょう、
力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。
その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。
主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、
権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、
飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。
その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、
わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」ルカ1:47-55
張準相先生は福岡神学校を卒業し、非常な苦労を重ねて、やがて大阪に在日朝鮮人のための教会を創立されました。当時の状況が強いたに違いありません──張本栄(はりもと・さかえ/チャン・ボニョン)という名前を使われるようになりました。これが現在、大阪の生野区にある聖ガブリエル教会の始まりです。
この張準相(張本栄)先生の人生の新しい出発は、教会で、吉村大次郎司祭との出会いから、それをとおしてのイエス・キリストとの出会いから起こったのです。
わたしはこの話を、張先生のご長女の張聖子(チャンソンジャ)さんから直接何度かうかがったのです。張聖子さんはかつて奈良女高師(現在の奈良女子大学)に学んでおられ、たびたびこの教会に通われていたそうです。
マリアの賛歌はその時に歌われて終わったのではなく、そこから新しい人生が始まったのでした。
ところで張準相青年が震災と虐殺の恐怖から脱出し、奈良で吉村司祭を通してイエス・キリストと出会い、やがて福岡神学校に行かれることになる1923年の秋から冬。そのころ、奈良基督教会の敷地には桐の木が育ちつつありました。1919年に700本の桐の苗が植えられたのです。それは第一次世界大戦の終結を記念し、平和を願って行われた教会事業のひとつであったことが「奈良基督教会百年記念誌」に記されています。
その桐の木は、今、この礼拝堂の欄間として用いられています。何に見えるでしょうか。わたしたちの先輩、雲のような信仰の証人が並び集まって歌っている。苦しんできた人たちが神のもとに喜び集まって、平和を祈っている。そのようにも感じます。
関東大震災と張先生の新しい出発から92年、日本の敗戦から70年の今、外国人、少数者をふたたび恐怖に陥れるヘイトスピーチが起こっています。歴史の教訓に学ばずふたたび日本を戦争する国にしようとする安保法制が成立しようとしています。このようなことが許されていいでしょうか。
そのような時代の中で、今日8月15日、わたしたちはマリアとともに張準相先生を記憶しました。マリアの賛歌の中にわたしたちも加わって祈り歌い、そして働きたいと願います。
祈ります。
神さま、わたしたちにもマリアの賛歌を歌わせてください。あなたがわたしたちを平和の苗として植え、育んでください。悪しき時代の中で、平和の実現のために働くことができますように。主のみ名によってお祈りいたします。アーメン