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【講演】「正義を行う」ことへの召し

’95日本聖公会宣教協議会 「聖書研究」
1995.8.29

’95日本聖公会宣教協議会は「日本聖公会の宣教──歴史への責任と21世紀への展望」をテーマとして1995年8月28日から31日にかけて山梨県清里・清泉寮で行われました。参加者約200名。

主催側の願いは、日本聖公会の戦争責任を明確にして告白し、新しく出発することでした。これは翌1996年5月の日本聖公会総会決議「日本聖公会の戦争責任に関する宣言」(末尾参照)につながりました。

 

「正義を行う」ことへの召し(配布用レジュメ)

1. はじめに

2. 神の民の出発と「正義を行う」ことへの召し

① 創世記 18:18-19「アブラハムは大きな強い国民になり、世界のすべての国民は彼によって祝福に入る。わたしがアブラハムを選んだのは、彼が息子たちとその子孫に、主の道を守り、主に従って正義を行うよう命じて、主がアブラハムに約束したことを成就するためである。』」

② 詩編 37:28「主は正義を愛される。」

③ 詩編 116:5「主は憐れみ深く、正義を行われる。わたしたちの神は情け深い。」

④ イザヤ書11:1-5「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる。知恵と識別の霊、思慮と勇気の霊、主を知り、畏れ敬う霊。彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。目に見えるところによって裁きを行わず、耳にするところによって弁護することはない。弱い人のために正当な裁きを行い、この地の貧しい人を公平に弁護する。その口の鞭をもって地を打ち、唇の勢いをもって逆らう者を死に至らせる。正義をその腰の帯とし、真実をその身に帯びる。」

⑤ イザヤ書 30:18「それゆえ、主は恵みを与えようとしてあなたたちを待ち、それゆえ、主は憐れみを与えようとして立ち上がられる。まことに、主は正義の神。なんと幸いなことか、すべて主を待ち望む人は。」

⑥ イザヤ書 59:15「まことは失われ、悪を避ける者も奪い去られる。主は正義の行われていないことを見られた。それは主の御目に悪と映った。」

⑦ エレミヤ書 4:2「もし、あなたが真実と公平と正義をもって、『主は生きておられる』と誓うなら、諸国の民は、あなたを通して祝福を受け、あなたを誇りとする。」

⑧ エレミヤ書 7:1-6「主からエレミヤに臨んだ言葉。主の神殿の門に立ち、この言葉をもって呼びかけよ。そして、言え。『主を礼拝するために、神殿の門を入って行くユダの人々よ、皆、主の言葉を聞け。イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。お前たちの道と行いを正せ。そうすれば、わたしはお前たちをこの所に住まわせる。主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない。この所で、お前たちの道と行いを正し、お互いの間に正義を行い、寄留の外国人、孤児、寡婦を虐げず、無実の人の血を流さず、異教の神々に従うことなく、自ら災いを招いてはならない。……』」

3. イエスが記憶した人々

① ルカ 11:42「それにしても、あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。薄荷や芸香やあらゆる野菜の十分の一は献げるが、正義の実行と神への愛はおろそかにしているからだ。これこそ行うべきことである。」(マタイ23:23参照)

② ルカ 11:50-51「こうして、天地創造の時から流されたすべての預言者の血について、今の時代の者たちが責任を問われることになる。それは、アベルの血から、祭壇と聖所の間で殺されたゼカルヤの血にまで及ぶ。そうだ。言っておくが、今の時代の者たちはその責任を問われる。」(マタイ 23:35-36参照)

③ 士師記19:22-30「彼らがくつろいでいると、町のならず者が家を囲み、戸をたたいて、家の主人である老人にこう言った。「お前の家に来た男を出せ。我々はその男を知りたい。」……男が側女をつかんで、外にいる人々のところへ押し出すと、彼らは彼女を知り、一晩中朝になるまでもてあそび、朝の光が射すころようやく彼女を放した。朝になるころ、女は主人のいる家の入り口までたどりつき、明るくなるまでそこに倒れていた。……家に着くと、彼は刃物をとって側女をつかみ、その体を十二の部分に切り離し、イスラエルの全土に送りつけた。これを見た者は皆言った。『イスラエルの人々がエジプトの地から上って来た日から今日に至るまで、このようなことは決して起こらず、目にしたこともなかった。このことを心に留め、よく考えて語れ。』」

4. おわりに──イエスの死を体にまとう

① Ⅱコリント4:7-11「ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされています、死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために。」

②要点

・私たちは神の民として「正義を行うこと」へと召されている。

・叫びを聞くことなしに私たちの働きはない。

・イエスの死をまとうこと、殺された人々のことを記憶すること──イエスの命にあずかること。