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【説教】祈っておられたイエス
マルコ1:35-39
2021年2月7日・顕現後第5主日
上野聖ヨハネ教会にて
自分の生涯を振り返ってみたときに、ある聖書の箇所があるとき自分の中に深く印象を残した、という経験を皆さまはお持ちでしょうか
今読まれた福音書の後半、マルコ福音書第1章35節以下は、わたしにとってはそのような箇所のひとつです。
「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。」マルコ1:35
このイエスさまがとても慕わしい。今から46年前、1975年のことを思い出します。
46年前の2月、わたしは大津聖マリア教会の信徒でした。すでに聖職候補生の認可を受けていたので、正式にはわたしの籍は教会ではなく京都教区に移っていたのですが。それはともかく、京都伝道区で大斎集会というのがあって、毎週京都伝道区の教会をめぐって礼拝をささげました。まもなく神学校に行くことが決まっていたわたしも、その大斎集会でお話しさせていただくことになりました。そのときにこの箇所を中心にお話をしたのです。聞いた人の感想──内容は良かった、しかし長かった。それで今日は長くならないように気をつけます。
イエスさまに呼ばれて弟子となってまだ日の浅いシモン・ペテロとその兄弟アンデレ、そしてヤコブとヨハネ。彼らはカファルナウムの町の、シモンの家に泊まりました。朝早くまだ暗いうちに、シモンがふと目を覚ますと、傍らに休んでおられるはずのイエスの姿がない。じっと待っていたのですが、戻ってこられる気配がない。だんだん気になってきて起き上がりました。
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