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【説教】荒れ野のイエス
マルコ1:9-13
2021年2月21日・大斎節第1主日
聖アグネス教会にて
「それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。」マルコ1:12
主イエスが人々の間で救いの働きを開始される前に、二つのことが必要でした。一つは洗礼を受けること、もう一つは荒れ野でサタンから誘惑(試練)を受けることです。洗礼と試練あるいは誘惑、この二つを経て初めて、イエスはその働きを開始することができたのです。この二つのことが簡潔に今日の福音書に語られていました。
第1の洗礼は、神とその愛、その臨在を経験することでした。「天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降(くだ)って来るのを御覧になった」(マルコ1:10)と記されているように、イエスは洗礼において神の霊を受けられました。そして「あなたはわたしの愛する子」(1:11)と呼びかける神の声を聞かれました。洗礼は神の祝福と恵みに満たされる経験でした。
しかしそれに続いて、もうひとつの経験をイエスはなさいます。今度は神不在の経験、あるいは神の沈黙の経験です。荒れ野にただひとり追いやられて(聖書協会共同訳)、イエスは試練を受けられるのです。
洗礼に続いてこう記されていました。
「それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。」マルコ1:12
わたしたちの新共同訳聖書には訳されていないのですが、ここには「すぐに」という言葉が原文にはあります。洗礼の恵みの経験に浸っているわけにはいかなかった。イエスはすぐに厳しい試練にさらされることになったのです。また「送り出した」とありますが、「(“霊”が)追いやった」あるいは「(荒れ野に)投げ込んだ」というニュアンスです。
その主語は“霊”です。神の霊です。洗礼においてイエスをご自分の愛する子として呼びかけ、ご自分の愛の命でイエスを包まれた神は、今度はすぐにイエスに別の経験を強いられました。ギリシア語原文のニュアンスはこんな感じです。
「それからすぐに“霊”はイエスを荒れ野に投げ込んだ。」
容赦ない。神のなさることは非常に厳しかったのです。
……
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