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【説教】イエス御自身が真ん中に立ち
ルカ24:36-48
2021年4月18日・復活節第3主日
聖光教会(京都)
今日の福音書はこのように始まりました。
「イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。」ルカ24:36
実はここでは、書き出しの一言が省略されています。何が省略されているかと言うと、「こういうことを話していると」という言葉です。
別に省いてもよい気がするかもしれませんが、しかしこの言葉に注意を払うと、そのときに主イエスの弟子たちがどういう状態にあったかがはっきりとわかるのです。
「こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。」
弟子たちはどういう状態にあったのでしょうか。
時は日曜日の真夜中です。その日曜日は大変な1日だったのです。
その日曜日の明け方早く、女の人たちがイエスの墓に行ったところ、ご遺体がなかった。輝く衣を着た二人の人が現れて「イエスは復活された」と告げた、というのです。イエスを失った悲しみと、イエスが復活したという話による驚きと混乱。さらにイエスはペテロにも現れた、といいます。そんなことで集まった弟子たちは夜中まで興奮して語り合っていました。
そこに、その日曜日の午後、エルサレムから数時間もかかる山の下の町、エマオまで行っていた二人の弟子が戻ってきてこういうことを話しました。──自分たちは道で復活されたイエスに出会った、何時間も話をした。夕食を共にしたとき、祈ってパンを裂いてくださったときにそれがイエスだとわかった、というのです。
復活のイエスに出会ったと確信と喜びをもって語る人。信じられない人。驚き、興奮、困惑、期待……が渦巻いて議論が続いています。
……