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『日韓キリスト教関係史資料Ⅲ 1945~2010』─ 韓国側資料を編集して ─

                               井田 泉

(富坂キリスト教センター編、新教出版社、2020年11月刊行)

 『日韓キリスト教関係史資料Ⅲ』を編集・出版するために富坂キリスト教センターに「日韓キリスト教関係史研究会」が正式発足したのは2007年であった。わたしは『資料Ⅱ』に引き続き主事として実務責任を担う立場であったが、現実には韓国側資料にほぼ専念することになった。韓国のキリスト教系新聞、雑誌等から関係資料を収集する作業は、李相勁(イ・サンギョン)、洪伊杓(ホン・イピョ)両牧師が中心となってしてくださった。資料リストは1000点近いものとなったが、紙数や時間的制約から百数十点にしぼり、8名の方にこれらの翻訳を依頼した。多様な資料の翻訳には、言葉の問題だけではなく歴史的背景や文脈の把握、固有名詞の確認などの困難も大きく、訳文すべては井田が原文と照合して加筆修正を行った。

 全体は日本側資料に合わせ3部構成とした。ただし中心的内容となる1970~80年代の民主化闘争については日本語資料が多数収められることを考慮し、日本による朝鮮植民地支配と関連するもの、また政治・社会的なものだけではなく文化的なものも意識して取り上げるようにした。
 以下、特徴的なものをいくつか紹介する。

 冒頭に収めたのは長老教会の「朝鮮基督教会機関誌 基督公報 刊行の辞」(1946.1.17)である。「残忍な虐政下でひどい仕打ちを受けた朝鮮教会の満身創痍こそ、隠そうにも隠しようがなく……指導者たちは退けられ、多くの祭壇は汚され、すべての機関は絡まり合って機能を喪失してしまった」。ここから新しい時代における自己の使命を表明し、読者の支持を呼びかける。『資料Ⅱ』(1923~45)がつぶさに伝えていた日本の皇民化政策による深い傷を思わされる。

 金麟瑞(キム・インソ)牧師は、解放後7年の1952年になって「日帝圧迫下に犯した罪を悔い改める」を自分の発行する雑誌『信仰生活』に公表し、次のように告白した。「神社参拝の日に自分は逃亡し、もしかして家族が私の代りに引っ張られて行くようにさせたことは自分がこの身をもって神社参拝した以上に重罰を受けるべきものであることを何度も痛悔し、罪に服します。また洞会で神宮の名を書いた紙箱を配付したとき、それをそのまま一度十銭を払って買ったことが、その時以来私の心に傷となっており、悔い改めます。」このような信仰的良心の痛みに触れるとき、日本に渦巻く歴史の自己正当化、対韓国非難、ヘイトスピーチの現実を恥ずかしく思わずにはおれない。

 1970年代、韓国の民主化闘争の激化に呼応して、1974年、日本では「韓国問題キリスト者緊急会議」が結成されるなど、日韓キリスト教の交流と連帯が深まっていった。同時にこの時期は日本政府が再三にわたって靖國神社国営化法案を成立させようとした時期でもある。これに対する韓国の世論は非常に厳しいものであった。『基督公報』の社説「日本の軍国主義の再登場を注視する」、金光洙(キム ・クァンス)「靖國神社法案 無効にすべき」(いずれも1974.4.20)などがそれを示している。また同じ年、朴鐘碩(パク・チョンソク)君への就職差別裁判闘争を支援して、韓国教会女性連合会等が「日立製品不買運動」を展開していることが報じられている。また1980年代前半には、日本の「歴史教科書歪曲」が大きな問題になった。長老派の『基督公報』に掲載された「『醜悪な日本は悔い改めよ』歴史歪曲に対する韓国教会の怒り高まる」(1982.8.21)や、メソジストの『基督教世界』に掲載された尹春炳(ユン・チュンビョン)「私も日本を考えてみる」(1982.9.10)などがその例である。

 1919年の三・一独立運動の精神をどう継承するかは毎年論じられてきている。70年代の民主化闘争の中で獄中生活経験した韓完相(ハン・ワンサン)は、『基督教世界』の三・一節特集で「八〇年代最初の年に迎える三・一節は、すべての韓国のクリスチャンたちにとって、骨身にしみるほどの厳しい自己反省を迫る促す契機となるべきである」と書き出し、「民族の現実が暗闇の中にある時、信徒は民族の炬火になるべきであり、社会構造が不正腐敗で腐った時、信徒は社会の塩にならなければならない」と訴えた(1980.2)。

 民主化が実現したとされて4年後の1991年、大韓聖公会の青年・千世容(チョン・セヨン)は「盧泰愚政権打倒」「新しい民衆の国建設」を叫んで焼身自殺した。これに対して大韓聖公会司祭団は彼の「民主国民葬」に関わり、聖公会の典礼に従って葬送ミサを行った。現場で作成・配布された資料は、事態の詳細な経緯を生々しく伝えている。

 最後に収められたのは超教派による「’98民族の和解・平和・統一のための祈願礼拝」である。式文には次のような祈りがある。「教友の皆さん、神はヘブライ人がエジプトの地で苦労し抑圧され、苦しみ叫んだとき、彼らを憐れんで救われたように、わたしたちの民族が日本の植民地統治下で苦労し苦しみ叫んだとき、わたしたちの民族を憐れみ救ってくださいました。この感謝の日に、主は再びわたしたちにこの尊い場所を設けてくださいました。」

 韓国キリスト教の民主化と平和統一への願いと実践は、日本が強いた苦難の歴史と深く結びついている。

           (『共助』2021 第3号 4月、第71巻第3号)