- - 【説教】終わりまであなたの道を
- - 【説教】牧者となられるイエス
- - 【説教】わたしを憐れんでください──バルティマイの叫び
- - 【講話】イエスが祈られた「主の祈り」
- - 【説教】背いた者のために執り成しをしたのは
- - 【説教】御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ
- - 大韓聖公会ソウル教区 金エリヤ主教 就任の辞
- - 【説教】ねたむほどに愛される神
- - 【説教】慰め励ましてくださる神
- - 【一日を終える祈り】
- - 【説教】悪魔の策略に対抗して
- - 【国境を越えて老司祭と分かち合った尹東柱の物語】
- - 【礼拝のための祈り】
- - 【説教】あなたこそ神の聖者
- - 【説教】命を得るために
- - 【聖餐式の言葉から 13】
- - 【説教】天からのパン
- - 【韓国の祈りから 5】俳優、シン・エラの祈り
- - 【説教】エリヤの霊とイエスの霊
- - 【韓国の祈りから 4】不安と恐れを克服する祈り
【聖書協会共同訳「詩編」の日本語について──個人的印象(3)】
詩編102編を例に、主(あなた)を主語とする文の動詞の尊敬語の有無を調べてみました。
17節
「主はシオンを築き
栄光のうちに姿を現されます。」 敬語あり
18節
「主はすべてを失った者の祈りを顧み
その祈りを軽んじませんでした。」 敬語なし
20節
「主はその聖なる高き所から目を注ぎ
天から地を見ました。」 敬語なし
24節
「主は道半ばで私の力を挫き
私の生涯を短くされた。」 敬語あり
27節
「天地は滅びるが、あなたは立っておられます。」 敬語あり
このように敬語の有無が混在しています。翻訳・編集過程においてどう判断されたかのかはわかりません。
わたしが自分の祈りとしてこの詩編を祈るとき、特に18節が困ります。
「主はすべてを失った者の祈りを顧み
その祈りを軽んじませんでした。」
ここは
「……その祈りを軽んじられませんでした」
としたいのです。