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【説教】親石となられるイエス
ルカ20:9-19
2022年4月3日・大斎節第5主日
上野聖ヨハネ教会にて
いま朗読した今日の福音書の最初と最後に、同じ言葉が出て来たのに気づかれたでしょうか。こんなふうに始まりました。
「イエスは民衆にこのたとえを話し始められた。」ルカ20:9
最後はこうでした。
「そのとき、律法学者たちや祭司長たちは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づいたので、イエスに手を下そうとしたが、民衆を恐れた。」ルカ20:19
イエスが語られた相手は民衆。イエスを捕らえようとした人びとが恐れたのは民衆。民衆がイエスを囲んでいて、イエスを守ったのです。
その民衆とはどのような人たちか。イエスの話を聞きたいと願って集まった人たちです。悩みを抱えて、イエスに助けと救いを求めた人たちです。もっと言うなら、イエスを愛していた人たちです。
しばしばこういうふうに言われるのを聞きます。イエスさまが最後にエルサレムに入城されたとき、歓声を上げてイエスを迎えた人たちは、数日後には、捕らえられて裁判にかけられたイエスを前にして「殺せ、殺せ」と叫んだのだと。
そういう人たちもたくさんいたに違いありません。無責任な、主体性のない群衆です。けれども、最後までイエスを愛して、イエスを支持していて、イエスが捕らえられて死刑場に引いて行かれるのを深く悲しんだ人たちがいた。力がなかった。声を上げることができなかった。しかしイエスを最後まで愛していた人たちがいたのです。そのことを見失ってはなりません。それがここに出てくる「民衆」です。
願わくはわたしたちも、イエスの話を聞こうとして集まる民衆でありたい。イエスを愛する民衆でありたい。イエスの受難を悲しむ民衆でありたいと願います。
……