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【説教】あなたがたは世の光である
マタイによる福音書 5:14─16
2023年2月5日・顕現後第5主日
上野聖ヨハネ教会にて
「あなたがたは世の光である。」マタイ5:14
「そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」5:16
長い間わたしは、この言葉に抵抗をおぼえていました。「あなたがたは世の光である。」それがわたしのことだとすれば、とんでもない。わたしは光などではない。自分が世の光であろうはずがないし、またそれでも世の光とイエスが言われるのであれば、自分は無理にでも世の光であろうとしなければならない。立派な行いをして、人々が神さまをあがめるようにしなければならない。──そのようにできそうにもないことを自分に強制しなければならないのか。逃げ出したいような、気が重くなる言葉でした。
けれどもいつの頃からか、「あなたがたは世の光である」というのは、「自分で努力して世の光になりなさい」という教訓の言葉ではなく、イエスの愛がこめられた恵みの言葉ではないだろうかと思えてきました。その大切な理由の一つは、イエスご自身が光、イエスが世の光であることに気づいたことです。
ヨハネ福音書の初めのほうでこう言われています。
「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。」ヨハネ1:9
また同じヨハネ福音書の中でイエスはこう言っておられます。
「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」ヨハネ8:12
イエスご自身が世の光です。イエスの光が、世とわたしたちを照らしています。その光を受ける、イエスの愛の光を十分に浴びる──それが先にあるはずだ、とわたしは思うようになったのです。
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