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【3月21日】トマス・クランマー カンタベリー大主教、殉教者 1556
“Holy Women, Holy Men: Celebrating the Saints” から翻訳
(出典下記)
https://diobeth.typepad.com/files/holy-women-holy-men.pdf
Thomas Cranmer
トーマス・クランマーは、イギリス宗教改革の中心人物で、1549年の最初の『祈祷書』と1552年の最初の改訂の主な責任者である。
クランマーは1489年7月2日、ノッティンガムシャーに生まれた。14歳でケンブリッジのジーザスカレッジに入学し、1514年までに学士号、修士号、フェローシップを取得した。1526年には神学博士となり、カレッジの講師、大学の試験官となった。彼はケンブリッジ大学にいる間、聖書と大陸の宗教改革から生まれた新しい教義を熱心に研究した。
1529年、ウォルサム修道院で国王ヘンリー8世と偶然出会い、クランマーは「王の事件」(ヘンリーとキャサリン・オブ・アラゴンの結婚の無効化)に関与することになった。クランマーは王の弁明書を作成し、イングランドとドイツの大学、そしてローマに提出した。
ドイツでは、ルター派の改革者たち、特にアンドレアス・オジアンダーと交流し、彼の娘と結婚した。ウォーラム大司教が亡くなると、国王はクランマーのカンタベリー管区任命についてローマ教皇の承認を得、1533年3月30日に聖別された。クランマーの最初の仕事は、王の結婚を無効とすることであった。そして、国王とアン・ブーリンとの結婚を承認した。クランマーは、彼女の子ども、すなわち後の女王エリザベス1世の教父(名付け親)となった。
エドワード6世の治世には、クランマーは自由に教会の礼拝、教義、実践の改革を行った。しかし、エドワードの死後、彼は不幸にも、王の遺言に従い、王位継承権がレディ・ジェーン・グレイにあるとした。このため、またその改革活動のため、彼は、ヘンリー8世のキャサリン妃の娘であり熱烈なローマ教徒であったメアリー1世によって逮捕され、聖職位を剥奪された。1556年3月21日、火あぶりの刑に処された。
クランマーは投獄中に2度の改革撤回文を書いたが、最後にはその撤回文を否定した。そして次のように述べて英雄的な死を遂げたのである。「わたしの手がわたしの心に反して誤りを犯したのだから、わたしの手が最初に罰せられなければならない。わたしが火に近づくなら、その手が最初に焼かれねばならない。」
(祈り)
慈しみ深い神よ、あなたはトマス・クランマーの働きにより、民衆の言葉を回復させることによってあなたの教会の礼拝を刷新されました。またあなたは彼の死をとおして、人間の弱さの中にあなたの力を現されました。あなたの恵みによって、わたしたちがいつも霊と真理によってあなたを礼拝することができるようにしてください。あなたと聖霊とともに一体であって永遠に生き支配しておられるわたしたちの唯一の仲介者であり弁護者、イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン
【クランマーについての説教は下記参照】
https://johnizaya.com/?s=%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC&fbclid=IwAR066YbwcnjMYcrmh-tJUeAq63w3K5H4HPmvaMuQnczhGkQ0AijhNuruJS4