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ヨハネによる福音書 20:1-18
2023年4月9日・復活日
京都聖三一教会にて
主イエスが葬られた墓に最初に行ったのは、マグダラのマリアでした。そして復活されたイエスに最初に出会ったのも、マグダラのマリアでした。今日のヨハネ福音書によって、その出来事を見つめたいと思います。
けれどもその前に、そのマグダラのマリアがどういう人であったかを知っておきましょう。
かつてマグダラのマリアは、重い病に苦しんでいました。その苦しみは体よりもむしろ心のほうにあったようです。自分の中に自分ではどうすることもできない何かが取りついていて、それがいつも自分を抑えつけている。それはもう「悪霊」としか言いようのないもので、しばしば勝手に自分の中で暴れ出し、手の付けられないような状態になるのでした。自分の魂は押しつぶされたようになって、恐れ、憎しみ、怒り、絶望から、自分と人を傷つけるような言葉や行動が起こってきます。
たくさんの医者にもかかり、占いやまじないをする人たちの所にも連れて行かれましたが、少しもよくなりませんでした。死のうとして死ぬこともできず、自分を責め、自分を呪い、この世を憎みました。神に救いを切に求める自分があるかと思うと、自分を救うことのできない神さえ呪うこともありました。神はこのような自分を罰するに違いない、と思っていました。
「七つの悪霊に取り憑かれている」(ルカ8:2、マルコ16:9)と人は言いましたし、自分でもそう思っていました。
ところがある時、イエスという人と出会いました。イエスの話を聞いていると、これまで思ってきたような神とは違う、自分を肯定し受け入れてくれる確かな存在であるように感じました。もう他に自分が行くところはない。このイエスについて行こうと決心しました。このイエスについて行って、生きるなら生きる、死ぬなら死ぬと決めたのです。
……