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【説教】いつまでも主と共に
マタイ 25:1-13
テサロニケⅠ 4:13-18
2023年11月12日・聖霊降臨後第24主日
聖アグネス教会にて
先月、韓国を旅行して、大韓聖公会ソウル主教座聖堂(通称、ソウル大聖堂)の主日聖餐式に出席しました。その礼拝で心に残ったことがいくつかありますが、その一つは、福音書朗読の前の場面です。
同じ聖公会の聖餐式なので、流れは同じなのですが、福音書前の聖歌は聖歌隊だけが歌っていました。その歌が続いているうちに、司式司祭とは別の福音書朗読担当の司祭が、聖卓の上に置かれている聖書の前に来て、深く頭を垂れて、そのまま10秒くらいもじっと沈黙しています。やがてその司祭が聖書を取り上げて会衆の前に進み出て、「アレルヤ、アレルヤ……」と短い歌を歌いました。これは「福音歓呼頌」というそうです。福音を歓呼して迎える歌、という意味です。そして福音書朗読になります。
この様子を見ていて、大聖堂の礼拝の中で聖書朗読、特に福音書朗読をどんなに大切にしているかを深く感じました。後から聞いたところ、福音書朗読の前に深く頭を垂れてしばらく時を過ごすのは、そこで沈黙の祈りをしているということです。こういう祈りだそうです。
「全能の神よ、わたしの唇と心を清め、あなたの聖なる福音を宣べ伝えるにふさわしい者としてください。」
このような姿勢をわたしも学びたいと思いました。
今日の福音書は、「10人のおとめ」のたとえでした。主イエスが再びおいでになる。「キリストの再臨」について語っています。その最後はこう結ばれていました。
「だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」マタイ25:13
主イエスが再びおいでになる。奇妙な話に聞こえるかもしれません。けれどもその奇妙なこと、合理的には納得しがたいことの中に、キリスト教の命があるのです。
……