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【説教】荒野のイエス

マルコによる福音書 1:9-13
ペトロの手紙Ⅰ 3:18-21

2024年2月18日・大斎節第1主日

聖光教会にて

 主イエスが人々の間で救いの働きを開始される前に、二つのことが必要でした。一つは洗礼を受けること、もう一つは荒れ野でサタンから誘惑(試練)を受けることです。洗礼と試練あるいは誘惑、この二つを経て初めて、イエスはその働きを開始することができたのです。この二つのことが簡潔に今日の福音書に語られていました。
 
 第1の洗礼を通してイエスは、神の愛と神の臨在を経験されました。「天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降(くだ)って来るのを御覧になった」(マルコ1:10)と記されているように、イエスは洗礼において神の霊を受けられました。そして「あなたはわたしの愛する子」(1:11)と呼びかける神の声を聞かれました。洗礼は神の祝福と恵みに満たされる経験でした。

 しかしそれに続いて、もうひとつの経験をイエスはなさいます。今度は神不在の経験、あるいは神の沈黙の経験です。

 「それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。」マルコ1:12
 もっとギリシア語原文に近くに訳せばこうです。
 「それからすぐに“霊”はイエスを荒れ野に投げ込んだ。」

 ここから荒れ野の40日が始まります。

……

(今回はペトロの手紙からイエスの「陰府(よみ)への下降」に触れています。)