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【復活日説教】あなたがたの命はキリストと共に
使徒言行録 10:34-43
コロサイの信徒への手紙 3:1-4
2024年3月31日・復活日
聖光教会にて
先ほど使徒書でこう聞きました。
「あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。」コロサイの信徒への手紙3:3
「あなたがたの命」=わたしたちの命に、関心が向けられています。わたしたちの命が暖かく見守られています。そしてそのわたしたちの命は「キリストと共に」ある。死んだとしても、死ぬほど弱ったとしても、滅びていない。キリストと共にわたしたちの命は、「神の内に隠されている」。滅ぶはずのわたしたちの命は、神の内に隠され守られている。詳しい意味はわからなくても、とてもうれしいことです。このことについては後からまた触れることにしましょう。
今日は使徒言行録のお話です。その背景はあらましこんなふうです。
ペテロが地中海沿岸のヤッファという町に滞在していたとき、そこに北の方カイサリアの町に駐屯するローマ軍の百人隊長コルネリウスから使いが来ました。せびともイエスについてのお話を聞きたいので、カイサリアまで来てほしいとの強い要請でした。そこでペテロは数人の仲間とともに出かけました。途中1泊してカイサリアに着きました。コルネリウスは、親戚や親しい友人たちを集めて待っていました。ペテロが来ると、コルネリウスは迎えに出て、ひれ伏してペテロを拝みました。よほどの思いでペテロを待っていたことが分かります。ペテロは彼を起こして「立ってください。わたしもただの人間です」と言いました。
コルネリウスはこう言いました。
「今わたしたちは皆、主があなたにお命じになったことを残らず聞こうとして、神の前にいるのです。」使徒言行録10:33
神の前に出て、福音を聞こうとしている。このようなコルネリウスたちを前に、ペテロも真剣にならざるを得ません。語るべきことをすべてしっかりと語らねば、と強く感じます。
ペテロが語った言葉はこうでした。
「イエスは、方々を巡り歩いて人々を助け、悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされたのですが、それは、神が御一緒だったからです。わたしたちは、イエスがユダヤ人の住む地方、特にエルサレムでなさったことすべての証人です。人々はイエスを木にかけて殺してしまいましたが、神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現してくださいました。」10:38-40
ペテロの話の中心は、イエスの生涯の働き、そして死と復活です。イエスの生涯の働きと十字架の死は、言わば地上の出来事なので、聞く側も受け入れやすかったかもしれません。けれどもイエスの復活は異常な話です。
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