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【説教】良き羊飼いイエス
ヨハネによる福音書 10:11-16
2024年4月21日・復活節第4主日
聖光教会にて
「わたしは良い羊飼いである」ヨハネ10:11、14
イエスは今日の福音書の中で2回も言われました。
けれどもこれは大勢の人の前で大声で宣言するように言われたのではなく、悩みを抱えた人たちの心に届くようにそっと呼びかけられたのではないでしょうか。
「わたしは良い羊飼いである」
このように言われるイエスは、この世の現実を見ておられました。マタイ福音書はこのように伝えています。
「イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。」9:35-36
イエスは、飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれた人々を見て、自分のはらわたが苦しむほどに深い憐れみを起こされました。
その当時、政治的にはローマ帝国の支配下にあり、信仰的に羊飼いの役割を果たすべき者と言えば、大祭司、長老、律法学者たちのはずでした。しかし彼らは自分の力と権威を誇示するばかりで、人々を逆に神さまから遠ざけている。これはイエスにとって深い悲しみであり、怒りでした。
ところで「羊を飼う」というのは聖書の民イスラエルの最初からの伝統です。先祖アブラハムが羊飼い、モーセも羊飼い、そして後のダビデ王は元々ベツレヘムの羊飼いでした。そのダビデが歌ったとされる「主はわが牧者」という詩編第23編の言葉は多くの方がご存じでしょう。神の民イスラエルにあっては、本来の羊飼いは神さまです。
牧者である神さまは、人々を守り導き養う羊飼いの役割を、イスラエルの指導者に委ねておられました。具体的に言えば、祭司、預言者、そして王です。現実に力と権限を持っているのは王ですから、イスラエルの王は民を守り養う責任があったのです。ところが現実はほとんどまったく正反対でした。
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