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【説教】麦畑の主イエス
マルコによる福音書 2:23-28
2024年6月2日・聖霊降臨後第2主日
上野聖ヨハネ教会にて
「ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた。」マルコ2:23
麦の穂がいっぱいに実って、収穫を待っています。ちょうど今ごろです。わたしが住んでいる家から5分も行くと、麦畑が広がっています。今、麦がもう黄色から茶色くなっていて、穂がいっぱい実っています。その麦畑の間の細い道を、イエスと弟子たちは通って行かれたのか、と想像してみます。
ちょうどその日は土曜日でユダヤ教の安息日。イエスは午前中はどこかの会堂礼拝に出席されたか、あるいは独自に祈りの時を持たれたかして、その午後のことです。
「弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた。」
よほど空腹だったのでしょう。
勝手に他人の畑の麦を摘んでよいのか、という疑問が湧くかもしれませんが、これは聖書では「よい」とされていました。旧約聖書・申命記にこう書かれています。
「隣人のぶどう畑に入るときは、思う存分満足するまでぶどうを食べてもよい……。隣人の麦畑に入るときは、手で穂を摘んでもよい……。」23:25-26
これは、貧しい人たちを守るために神が定められてイスラエルの律法となったものです。土地を持たない貧しい人たちが生きることができるように、ぶどうも麦も刈り尽くさないように、貧しい人たちの分として残すようにと、神が定められた。神がそう定めてくださったのですから、遠慮したり気兼ねしたりすることはないのです。
ところが弟子たちが麦の穂を摘んでいるのを見たファリサイ派の人々が、イエスに詰問します。
「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」マルコ2:24
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