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【説教】キリストの愛がわたしたちを駆り立てている
マルコによる福音書 4:35-41
コリントの信徒への手紙Ⅱ 5:14-21
2024年6月23日・聖霊降臨後第5主日
京都聖三一教会にて
今日6月23日は、沖縄慰霊の日です。日本聖公会からの「2024年 沖縄週間/沖縄の旅」の案内の終わりのほうには次のように記されています。
「太平洋戦争では県民の4人にひとりが犠牲となり、現在でも『国土面積の約0.6%しかない沖縄県内に、全国の約70.3%の在日米軍専用施設・区域が依然として集中しています。都市計画は基地によって制限され、軍用機の騒音が会話を遮ります』(防衛省のwebサイト)。この世に遣わされた者として、この現実をどのようにとらえ、主の光を示すことができるでしょうか」
すでに退職されましたが沖縄教区に石原絹子司祭という方がいらっしゃいます。わたしの親しい方ですが、悲惨な沖縄戦を直接に経験された方です。お父さんは戦場に駆り出されて亡くなりました。7歳のとき、米軍の爆撃の中をお母さんと兄妹たちと一緒に逃げまどわれた。その中でお母さんを、兄を亡くされ、さらに背に負ぶっていた1歳の妹を、手を引いていた3歳の妹を亡くされました。ただひとり生き残られた。その体験から、切実に命と平和の尊さを訴え続けておられます。わたしたちもその願いと祈りに連なりたいと思います。
今日は使徒書、パウロのコリントの信徒への手紙Ⅱの1節に耳を傾けましょう。パウロはご存じのように、元はキリスト教を迫害していた人で、それが復活のイエスに出会って回心し、熱心なキリスト教伝道者になった人です。遠く旅をしていくつもの教会を創立しました。コリント教会もその一つです。
今日の使徒書はこう始まっていました。
「なぜなら、キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。」コリントⅡ 5:14
「なぜなら」というのは、直前にパウロが言ったことの理由を説明しているのですが、そこは今日の日課から省かれているのでわかりにくい。その直前でパウロはこう言っています。
「わたしたちが正気でないとするなら、それは神のためであった……」5:13
自分が正気を失うようなことがあったとパウロは言うのです。それは神のためであった。「正気を失う」とはこういうことでしょうか。神の愛が迫ってきて、それが自分の中で燃え上がる。神への熱心が高じて、普通の自分なら言うはずのないことを言い、するはずのないことまでしてしまう。できるはずのないことが実現してしまう。そういう人物であったからこそ、パウロは命がけで伝道して、いくつもの教会を設立することができたに違いありません。
「キリストの愛がわたしたちを駆り立てている。」コリントⅡ 5:14
わたしたちの信仰生活で、何を大切にすべきでしょうか。キリストの愛を心に宿すことです。イエス・キリストがわたしたちを愛しておられるその愛を知り、信じ、それに動かされて生きることです。ここに何度でも帰りましょう。
ここで今日の福音書を思い出してみることにします。
……
※石原絹子司祭の証言については次をご覧ください。
https://johnizaya.com/wp/wp-content/uploads/2015/06/d10e953ed6ac84d18eb5656ca02fae4d.pdf