- - 【韓国の祈りから 4】不安と恐れを克服する祈り
- - 【説教】わたしは主を見ました──マグダラのマリアの物語
- - 【説教】キリストの力がわたしの内に宿るように
- - 【聖餐式の言葉 12】聖なるかな <感謝聖別2>
- - 【説教】キリストの愛がわたしたちを駆り立てている
- - 【説教】成長する神の国
- - 【聖餐式の言葉から 11】心を神に
- - 【説教】麦畑の主イエス
- - 【説教】風は思いのままに吹く
- - 【説教】神の息、愛の火──聖霊降臨日に
- - 【聖餐式の言葉から 10】奉献
- - 【説教】主のみ手が共にあったので──アンティオキア教会の始まり
- - 【説教】わたしが生きているので、あなたがたも生きる
- - 【説教】良き羊飼いイエス
- - 【聖餐式の言葉 9】平和の挨拶
- - 【説教】わたしの主、わたしの神よ
- - 【復活日説教】あなたがたの命はキリストと共に
- - 【聖金曜日の黙想】
- - 【聖職按手式説教】幸いな僕
- - 【説教】わたしたちの大祭司イエス・キリスト
【説教】わたしは主を見ました──マグダラのマリアの物語
ヨハネによる福音書 20:1-18
2024年7月21日・聖霊降臨後第9主日
聖光教会にて
明日7月22日は「マグダラの聖マリヤ日」です。それで今日はマグダラのマリアのお話をすることにします。復活されたイエスに最初に出会ったのはマグダラのマリアでした。
マグダラはガリラヤ湖の西岸の町。そこの出身なので「マグダラのマリア」と呼ばれます。彼女はどういう人だったのでしょうか。
かつてマグダラのマリアは、重い病に苦しんでいました。その苦しみは体だけではなく、むしろ心のほうにあったようです。自分の中に自分ではどうすることもできない何かが取りついていて、それがいつも自分を抑えつけている。それはもう「悪霊」としか言いようのないもので、しばしば勝手に自分の中で暴れ出し、手の付けられないような状態になるのです。自分の魂は押しつぶされたようになって、恐れ、憎しみ、怒り、絶望から、自分と人を傷つけるような言葉や行動が起こってしまいます。
たくさんの医者にもかかり、占いやまじないをする人たちの所にも連れて行かれましたが、少しもよくなりませんでした。死のうとして死ぬこともできず、自分を責めて、自分を呪って、この世を憎みました。神に救いを切に求める自分があるかと思えば、自分を救うことのできない神を呪うことさえありました。神はこのような自分を罰するに違いない、と思っていました。
あの人は「七つの悪霊に取り憑かれている」(ルカ8:2、マルコ16:9)と世間では言っているようでしたが、自分でもそう思っていました。
ところがある時、イエスという人と出会いました。イエスの話を聞いていると、これまで思ってきたような神とは違う、自分を責めるのではなく肯定し受け入れてくれる確かな存在であるように感じました。もう他に自分が行くところはない。このイエスについて行こうと決心しました。このイエスについて行って、生きるなら生きる、死ぬなら死ぬ、と決めたのです。
イエスに従って歩むうちに、荒れ狂っていた自分は少しずつおさまって、反対にこれまで経験したことのない平安と慰めを感じて、生きる力が与えられるようになっていきました。
……
※写真は当日朝の聖光教会(京都市左京区松ヶ崎)