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【説教】命を得るために
箴言 9:1-6
ヨハネによる福音書 6:53-59
2024年8月18日・聖霊降臨後第13主日
聖光教会にて
今日の旧約聖書は「箴言」でした。この箴言、旧約聖書では詩編の次に収められていますが、どれくらい親しまれているでしょうか。わたしたちが使っている3年周期の主日聖書日課で、箴言がどれくらい出てくるかと調べてみました。すると3年でたった1回。B年の特定15、つまり今日だけなのです。それですから今日はまず箴言に触れてみましょう。
「箴言」という題の「箴」は竹の針ですね。チクッと刺されると痛い。そのように、この世を信仰をもって生きて行く上で必要な大事なことを、時にはチクッと刺して心にしっかり残るような格言を集めたのが「箴言」という書物だと言えるでしょうか。
さて今日の箴言第9章はこう始まっていました。
「知恵は家を建て、七本の柱を刻んで立てた。」9:1
「知恵」が主語です。知恵がまるで人のように、人格を持って活動している。これは8章からそうです。
「知恵が呼びかけ/英知が声をあげているではないか。」8:1
その8章を読んでいくと、知恵が自分のことをこのように語っています。
「御(み)もとにあって、わたし[知恵]は巧みな者となり/日々、主を楽しませる者となって/絶えず主の御前(みまえ)で楽を奏し
主の造られたこの地上の人々と共に楽を奏し/人の子らと共に楽しむ。」8:30-31
このように知恵は神さまの近くにいて、そのみ前で音楽を奏でるなどして、日々神さまを楽しませる。同時に地上でも音楽を奏でて、人々とともに楽しむ、というのです。知恵は神を楽しませ、人を楽しませる。神とともに、人とともにみずからも楽しむ。
神も人もともに喜び楽しむ。これが本来、神が創造された世界です。それが破壊されてしまった。もう一度その世界を回復したい。それが神の願いであり、そのために神は今も働いておられ、主イエスも働いておられる(ヨハネ5:17)。それでわたしたちも働くのです。
さて元の9章に戻りましょう。神を楽しませ、人とともに楽しむあの知恵が、ここではこんなふうに活動しています。
「1 知恵は家を建て、七本の柱を刻んで立てた。
2 獣を屠(ほふ)り、酒を調合し、食卓を整え
3 はしためを町の高い所に遣わして/呼びかけさせた。
4 『浅はかな者はだれでも立ち寄るがよい。』
意志の弱い者にはこう言った。
5 『わたしのパンを食べ/わたしが調合した酒を飲むがよい
6 浅はかさを捨て、命を得るために/分別の道を進むために。』」
……