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【説教】背いた者のために執り成しをしたのは
イザヤ書 53:4-12
2024年10月20日・聖霊降臨後第22主日
聖光教会にて
今日聞いた四つの聖書の箇所は、いずれもイエス・キリストをはっきりと示していました。このようなことは実は珍しいように思います。
まず旧約聖書はイザヤ書第53章、「苦難の僕」の姿です。最初のキリスト教会はここに、わたしたちのために苦しみを受けて死なれたイエス・キリストの姿を見出しました。
第2は詩編第22編です。今日唱えたのは19節以下ですが、1節はあの十字架上のイエスの叫び、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」です。もしイエスが十字架の苦しみの中で、詩編第22編を唱えて祈られたのだとしたら、今日の箇所も十字架上の祈りです。
「主よ、遠く離れないでください‖ わたしの力よ、急いでわたしを助けてください」22:19
第3は使徒書、ヘブライ人への手紙への手紙第4章でした。ここでは、わたしたちと同様に試練に遭われて、わたしたちのために執り成してくださる大祭司イエス・キリストが語られていました。
そして最後第4に、マルコによる福音書第10章では、イエスご自身が、自分は「仕えられるためではなく仕えるために来た」と語られました。
このように四つの聖書が順に、苦難の僕イエス、十字架上で祈られるイエス、わたしたちのための大祭司イエス、そして仕えるために来られた僕(しもべ)イエス、を伝えています。言わばひとりの方イエスが、四つの方向から光を当てられているのです。
今日はこの四つの中から、旧約聖書イザヤ書53章の「苦難の僕」の姿を見つめてみましょう。
「彼が担ったのはわたしたちの病/彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
わたしたちは思っていた/神の手にかかり、打たれたから/彼は苦しんでいるのだ、と。」53:4
ひとりの人が痛めつけられて苦しんでいます。わたしたちはその人のことをこう思っていた、というのです。この人は神に打たれている。悪いことをしたから、神によって罰せられているのだ、と。
その人は刺し貫かれて、息絶えました。打たれ、傷つき、捨てられて、そして死んでいった無残な姿。神に背いた者の最後はこのようなものなのだと、わたしたちは思っていた、というのです。
それからどれくらい時間が過ぎたでしょうか。そのように打たれ、傷つけられ、死んでいったその人の姿が、わたしのまぶたの奥によみがえり、その人の目がわたしを見つめているような気がする。その目は平和で、穏やかで、わたしを慈しむかのような目です。
……
