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【説教】見よ、その方が来られる
ヨハネの黙示録 1:1-8
2024年11月24日・降臨節前主日
京都聖三一教会にて
今日は降臨節前主日。1年の教会の暦の最後の主日です。来週からは降臨節、クリスマスに備える期節が始まります。その降臨節前主日の使徒書として、新約聖書の最後の文書、「ヨハネの黙示録」の冒頭が朗読されました。1年の締めくくりのこの主日に、新約聖書の締めくくりの書物に触れる機会が与えられたことになります。
ヨハネの黙示録は、ローマ帝国によるキリスト教迫害の時代に書かれた一種の秘密文書です。穏やかな時代にじっくり考えて書かれたものではありません。生きるか死ぬか、殺されるか生き延びるか、信じて耐え忍ぶか背教するか。そういう危険が迫る中で、王たるイエス、主権者たるイエス・キリストを示して人々を励まそうとして、この黙示録は書かれたのです。
今日はその一端に触れてみましょう。
「見よ、その方が雲に乗って来られる。」1:7
「その方」というのは救い主イエス・キリストです。迫害にさらされ、ローマ皇帝を拝むように強制されるなかで、自分たちは放置されたままなのか。否、その方、イエス・キリストが再び来てくださる。これだけが最後の希望です。
ところでヨハネの黙示録の著者ヨハネは、幻(ビジョン)を見る人でした。幻というと、現実離れしたたわ言のように聞こえるかもしれません。けれども聖書の世界においては、幻はしばしば重要な意味を持っています。人々が現実のあまりの困難に打ちひしがれて希望を失おうとするとき、神は幻を示して希望を与えられる。今の現実はこうだけれども、神がやがて実現される別の現実がある。それをありありと示されて、人に伝えるのが預言者の役割のひとつです。現実だけを見ていればわたしたちはつぶれてしまう。神から希望と力を与えられて、今の困難な現実を生き抜いていく。これが信仰です。
イエスもまたある意味で幻を見る方でした。
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