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【説教】夕べになっても光がある

ゼカリヤ書 14:4-9

2024年12月1日・降臨節第1主日
上野聖ヨハネ教会にて

「夕べになっても光がある」
今日の旧約聖書・ゼカリヤ書14:7の言葉です。
「夕べになっても光がある」
日が落ちて、あたりが暗くなり、空も、そして世界全体も暗くなっていく。それでもなお光がある。その光はけっして消えず、手もとを照らし、足もとを照らし、行く道を照らします。世界も、そしてわたしたちの人生も、もはや暗黒に支配されることはない。

「夕べになっても光がある」
ずっと以前、わたしはこの言葉に出会って、何と美しい言葉だろうかと印象に残った記憶があります。それが今日、降臨節第1主日の旧約日課に出て来ました。

遠い昔の預言者ゼカリヤは、彼が生きた悩みの時、暗黒の時代にあって、神さまの光を受けた。神さまから来る希望の光を感じてそれを書き留めた。彼は、後の人がその光と出会って、希望を持つようにと願って、この言葉を書き残してくれたのではないでしょうか。

今日から降臨節に入りました。クリスマスの備えをする期節です。祭色は緑から紫に変わりました。紫は慎みの色、祈りの色、そして待望の色です。待望と言いました。光なる救い主イエス・キリストを待ち望むのです。ご自身光である方、わたしたちを照らす光であるイエス・キリストを、新しくわたしたちのうちにお迎えしたいと願います。

ヨハネ福音書は、クリスマスの出来事を「光の到来」としてこう表現しました。
「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。」1:9
そこでその光についてのイメージを三つお話しして、クリスマスを迎える備えをしたいと願います。

第1に、その光、主イエスの光は清らかな光、聖なる光です。汚れた世界に汚れなき神の子が来てくださった。わたしたちがこの方を迎えるとき、この方の光によって清められていく。聖なる静けさに満ちた光の世界を味わうのがクリスマスです。

……