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【説教】幼子はイエスと名付けられた

ルカによる福音書 2:21

2025年1月1日・主イエス命名の日

上野聖ヨハネ教会にて

    *

今日は二重のお祝いの日です。新しい年の初めのお祝い。そしてそれ以上にわたしたちにとって大事なのは、世の救い主として来られた赤ちゃんに正式に名前が付けられた、名付けのお祝い。今日は主イエス命名の日です。

「八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。」ルカ2:21

「天使から示された名」とありますように、すでにその名前は決められていました。マリアは聞きました。ヨセフも夢の中で聞きました。

「その子をイエスと名付けなさい」

「イエス」とは、「主は救い」「神は救ってくださる」という意味です。この幼子は、人々を罪から解放し、この地上に神の救いを実現する方なのです。

この日のイエスという名付け(命名)は、遠い昔の遠い国でのささやかな出来事でした。ところがここには神の計画と意志が働いていたので、イエスの名はわたしたちにまで届き、わたしたちの人生を左右することになりました。

ところでクリスチャンとは何でしょうか。クリスチャンとは、このイエスの名を呼ぶ者です。この名を呼びつつ生きて行く。この名を呼ぶことによって人生の道が開かれる。それがわたしたちです。

そこで今日は、聖書の中でイエスの名を呼んだ人と、反対にこのイエスから自分の名前を呼ばれた人のことを思い浮かべてみましょう。その人たちはわたしたちの信仰の先輩です。

まずイエスの名を呼んだ人。第1にマリアです。マリアは赤ちゃんがお腹の中にいたときからイエスの名を呼びかけ、今日の命名の日にイエスの名を呼び、そしてイエスが成長していく毎日毎日、イエスの名を呼び続けたに違いありません。あるときは声を出して、あるときは心の中で。イエスの名を呼ぶとき愛が注がれ、あるときは心配があり、祈りと願いがありました。そのマリアの呼びかけを聞きつづけて、イエスは成長しました。イエスが家を離れて宣教活動をし始めてからも、そして最後に十字架にかけられたときも、死んで葬られた後も、マリアはイエスの名を呼び続けたに違いありません。
 
それからイエスの名を呼んだ人は、例えばエリコの盲人で、道端で物乞いをしていたバルティマイです。イエスが通られると聞いて、必死でイエスの名を呼びました。

「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」マルコ10:47

イエスは彼を呼ばれました。そして彼の願いを聞き、彼の目を開かれました。その時からバルティマイはイエスに従う者となりました。

もう一人、思い出すのは、イエスと一緒に十字架にかけられた無名の、犯罪人と言われる人です。彼は十字架の上で息絶えようとするとき、こう言いました。

「イエスよ、あなたの御国(みくに)においでになるときには、わたしを思い出してください」ルカ23:42

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