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【説教】キリストは死者の中から復活し
コリントの信徒への手紙Ⅰ 15:12-20
2025年2月16日・顕現後第6主日
聖光教会にて
今日は、使徒書の最後の言葉を大切に心にとめましょう。
「しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。」コリントⅠ 15:20
元はキリスト教の迫害者パウロ。主イエスと出会って回心し、逆に熱烈なキリスト教伝道者となったパウロ。彼は遠く旅をしていくつもの教会を設立し、多くの人々を救い、またたくさんの手紙を記しました。今日読まれたのはその一つ。当時ギリシャの大都会、コリントの教会に宛てた手紙です。
そのパウロにとって最も大切であったことは何かというと、「イエス・キリストの十字架と復活」です。「キリストの復活」、言い換えれば「復活のキリスト」。復活のキリストが彼のうちで燃えていたので、彼は苛酷な困難の連続に耐えて、生涯をイエス・キリストを伝えるために献げたのでした。
「しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。」
ただキリストが復活した、というだけではないのです。それはわたしたちのためだった。キリストは眠りについた人たちの初穂となられた。つまりイエスが最初の者となって、眠りについた、つまり死んだ人たちがそれに続く。死んだ人々、またやがてはわたしたちすべてが復活して新しい命に生きるために、キリストがその初穂、第1号となられた。
キリストの復活があるからこそ、わたしたちの存在はいつかは終わって消滅するのではなく、新しい体をもって復活するのだ。──これを受け入れてこれを信じて、希望と力を得てほしい。これがパウロの切なる願いです。
このコリントの信徒への手紙Ⅰの第15章全体を費やして、パウロはキリストの復活と、それによる死者の復活を語ります。
このことについては最後にもう一度触れることにして、今日は別のことをお話しします。今日2月16日は、わたしが愛してやまない韓国・朝鮮の詩人、尹東柱(ユンドンジュ)の逝去80年の日です。
尹東柱。彼は1917(大正6)年、朝鮮東北部から中国に入ったあたり、北間島(プッカンド)と呼ばれる地域の明東(ミョンドン)という村で生まれました。村全体がキリスト教です。彼は生まれてすぐに幼児洗礼を受けました。平壤(ピョンヤン)およびソウル(当時、京城)のキリスト教系学校で学び、やがて日本に留学して立教大学、ついでこの京都の同志社大学英文科で学びました。1942年、今から80年と少し前のことです。彼が下宿していたのは左京区田中高原町。叡電の茶山の近くですから、ここからそれほど遠くありません。このあたりまで散歩してきて、聖光幼稚園の園児たちの歓声を聞いたかもしれません。
翌1943年、夏休みで帰省する準備をしていたところ、下鴨警察の特高に逮捕されました。「治安維持法違反」の罪名で京都地方裁判所で懲役2年の判決を受け、1945年2月16日、福岡刑務所で獄死しました。満27歳。あと半年待てば日本は敗戦、朝鮮は解放を迎えるはずでした。ちょうど80年前の今日です。
彼は何も秘密結社を作って独立運動をやったわけではありません。ただ失われていく、奪われていく朝鮮語、朝鮮文化を愛して、その大切さを友人たちと語り合った。祖国の独立を願った。自分のその言葉で詩を書き、日記を書いた。それが日本の「國體」に反逆する犯罪とされたのです。
今日は彼の代表作と言われる「序詩」をご紹介します。1941年11月20日の日付がついています。延禧(ヨニ)専門学校(現在の延世(ヨンセ)大学校)卒業の直前でした。
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