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【説教】わたしの主、わたしの神よ

ヨハネによる福音書 20:24-29

復活節第2主日・2025年4月27日

京都聖三一教会にて

「十二人の一人でディディモと呼ばれるトマス」ヨハネ20:24
今日の福音書に登場したイエスの弟子のトマスは、一般に「復活の主を疑ったトマス」「疑い深いトマス」というイメージを持たれているかもしれません。けれども今日は、トマスのことをもう少し丁寧に見つめてみることにしましょう。

まずトマスは、イエスが多くの弟子たちのうちから祈りをもって選ばれた12弟子の一人でした。イエスはトマスを身近に置き、ご自分の使命である神の国の働きを一緒にするようにと、トマスを育んでいかれました。トマスには、イエスの祈りと愛が注がれていました。トマスもまた、イエスを信頼して従い続けたのです。

ヨハネ福音書第11章にこんな話が記されています。イエスが愛しておられたラザロが重い病で死に瀕しているということが伝えられました。しばらくしてイエスは「もう一度、ユダヤに行こう」と言われました。ラザロを見舞う、と言われたのです。弟子たちは反対しました。なぜなら、そこはとても危険な場所だったからです。弟子たちは言いました。

「ラビ、ユダヤ人たちがついこの間もあなたを石で打ち殺そうとしたのに、またそこへ行かれるのですか」11:8

しかしイエスはこう言われました。

「わたしたちの友ラザロが眠っている。しかし、わたしは彼を起こしに行く」11:11

これを聞いたとき、トマスは感動しました。このイエスという方は、自分の命を危険にさらしてでもラザロを助けようとされるのだ。このような方だからこそ、自分はイエスを信じてここまで来たのだ。トマスは仲間の弟子たちにこう言いました。

「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」11:16

イエスと一緒に死んでよい。この方と一緒に死のう。彼はそう本気で思ったのです。このことだけで、トマスがどんなにイエスを愛しイエスを信頼していたかがわかります。

さて今日の福音書です。

「十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。」20:24

日曜日の夕方、復活されたイエスが弟子たちのところに来られたとき、トマスはそこにいなかったのです。

「そこで、ほかの弟子たちが、『わたしたちは主を見た』と言うと、トマスは言った。『あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。』」20:25

……