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【説教】サウロの回心とアナニア

使徒言行録 9:1-19

復活節第3主日・2025年5月4日
上野聖ヨハネ教会にて

復活の主が、かつても今も働いておられます。
今日、最初に読まれた使徒言行録は、サウロ(パウロ)の回心の物語でした。こう始まっていました。

「さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。」使徒言行録9:1-2

「意気込んで」と訳されたところのギリシア語は激しい呼吸を示す言葉で、興奮のあまりに鼻息が荒くなっている、という感じです。サウロのうちに情熱が燃えています。けれどもそれは、暗い情熱です。間違っていると自分が考える人々を脅迫し、殺そうとする熱心。人を憎み滅ぼそうとする情熱です。これは非常に不幸なことですが、自分ではそれに気がつきません。
 
ダマスコ途上でイエスは彼を呼ばれました。
「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか」9:4
彼はその声を聞き、光に打たれて道に倒れました。彼は目が見えなくなり、人に手を引かれてダマスコに連れて行かれました。

「サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった」(9:9)と記されています。ただ目がかすんで見えなくなったというのではありません。これまで自分がこうだと信じてやってきたことすべてが、わからなくなったのです。自分は神に従って行動してきたつもりだったけれども、実は罪のない人々を脅迫し、命を奪ってきたのではないか。単に体調を崩して食欲がなくなったというのではありません。自分の過去も現在も未来も、すべて闇に閉ざされた。無実の人の血を流させてきたのが自分だとしたら、身がすくむどころではない。もう生きる資格も力もありません。

けれども、このサウロに新しく使命を与えて生かそう、と復活のイエスは決意しておられます。そのためにイエスは、ダマスコにいる一人の弟子を用いられます。アナニアという人です。

先に「サウル」と呼びかけたイエスは、今度は「アナニア」と呼びかけられます。10節です。
「わたしはここにおります、主よ」とアナニアは答えました。直訳すれば「わたしです、主よ」です。わたしたちが礼拝堂に来たとき、あるいは家でひとり祈るとき、「わたしです、主よ」「わたしはここにおります」と主に呼びかけることはとても意味のあることです。

イエスがアナニアに命じられたのは、サウロの所に行って彼の上に手を置いて祈ることでした。アナニアは「恐ろしい」と感じました。アナニアは、サウロがダマスコに向かって来ているのを聞いていました。自分もサウロに捕らえられて殺されるかもしれない。そのサウロに何が起こったかを彼は知りません。サウロに会うのは恐ろしい。けれどもイエスはアナニアに「行け」と言われました。

ここで一つ、彼に励ましを与えたイエスの言葉があります。
「今、彼は祈っている」(9:11)
と言われたのです。祈っているなら、大丈夫かもしれない。アナニアは決意して出かけます。祈りつつ、目的地に向かいます。

……