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【説教】わたしは彼らを知っている
ヨハネによる福音書 10:22-30
復活節第4主日・2025年5月11日
聖光教会にて
先ほどの特祷の中に「良き羊飼い、主イエス・キリスト」という言葉があったとおり、今日、復活節第4主日は「わたしたち良き羊飼い、主イエス・キリスト」の主日です。同時に今日は「神学校のために祈る日」と決められています。今は神学生が非常に少なく、聖職志願をする人が激減している時ですが、それだからこそ、いっそうこの日を大切にして祈りたい。良き羊飼いイエスに従って神さまのため、教会のために本気で働こうとする人々が育つ──教会がそういう場になってほしいと、切に願います。
さて、今日の福音書です。イエスは今エルサレムの神殿におられます。たくさんの人が集まっています。
「そのころ、エルサレムで神殿奉献記念祭が行われた。冬であった。」ヨハネによる福音書10:22
今日はここで神殿奉献記念祭と呼ばれる特別な礼拝が行われていました。年に1回行う重要な礼拝です。
エルサレムの神殿は、イエスさまからおよそ1000年前、ソロモンによって建てられました。けれどもその後バビロニア帝国によって破壊され、ほとんど廃墟と化しました。それから70年ほどして、非常な苦心の後、神殿は再建されました。ところがまた今度はシリアの王国によってエルサレムは占領され、神殿は汚されてしまいました。神殿の中にゼウスの像が建てられ、律法の書は焼かれた。信仰を守って死ぬか、信仰を捨てて生き延びるか、という選択を人々は迫られた。こうした中で、神への情熱に燃えるユダのマカベヤという人を中心として、シリアに対する独立戦争が起こりました。これが成功して、シリア軍を駆逐し、汚された祭壇を新しく奉献し、神に感謝の礼拝を献げたのです。これが神殿奉献記念祭の始まりです。
それから200年ほどたった今日、神殿奉献記念祭が行われて、イエスも弟子たちも参加したのでしょう。けれどもその盛大な礼拝に参加して、イエスの心は満ち足りていたかと言うと、とてもそうではありませんでした。反対に、悲しみと怒りのまじった苦しみがイエスのうちに起こって来るのです。
もともとこのエルサレムの神殿がイエスにとってどういう場所であったか、というと、それこそ祈りの家、神さまと語り合う喜びと平安の場所でした。イエス12歳の時の出来事を覚えておられる方が多いと思います(ルカ2:41-50)。両親はイエスが行方不明になったと思って非常な心配をして捜し回ったのですが、イエスは神殿の境内で学者たちと語り合っておられた。心配したマリアに対してイエスは、「僕が自分のお父さんの家にいるのが分からなかったの」と答えられました。自分のお父さん、つまり神さまの家に自分がいるのはごく自然なことだ。エルサレムの神殿は少年イエスの心の故郷だったのです。
ところが成人して30歳を越えたイエスが同じエルサレム神殿で見たのは、そこが「悪どい商売の家」(ヨハネ2:16)、もっと言えば「強盗の巣」(マルコ11:17)と成り果てている現実でした。そこは大祭司を頂点とした権威ある人々と、財力のある人々、力ある人々の地位と名誉とお金が支配する世界。壮大な礼拝は行われているけれども、神さまはどこにおられるのか。素朴な信仰を持った民衆は、権力を持った人々から搾り取られているという現実でした。
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