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【説教】愛する御子の支配下に
コロサイの信徒への手紙 1:1-14
聖霊降臨後第5主日・2025年7月13日
聖光教会にて
*
今は参議院議員選挙の真っ最中です。その中で非常に気がかりなことがあります。それは「日本人ファースト」などと言って、外国人を排斥する声が高まっていることです。これは大変危険なことです。
今日の福音書の中でイエスは「サマリア人」のことを言われました。追いはぎに襲われて半殺しにされた人を助けたのは、祭司ではなくレビ人でもなく、外国のサマリア人であった。サマリアを外国と言ってしまうのは言い過ぎになるのですが、しかし詳しい事情はともかくとして、当時、ユダヤ人はサマリア人とは絶交状態。ユダヤ人からすればサマリア人は軽蔑と憎しみの対象だったのです。そのサマリア人を、「神の律法に従って隣人を愛した人」としてイエスは語られた。「ユダヤ人ファースト」ではありません。イエスは、サマリア人とユダヤ人が一緒に行きていく道を開かれたのです。わたしたちはこのイエスに倣う者として、「日本人ファースト」の排他主義、排外主義ではなく、一緒に生きていく道を選ばなければなりません。
今日は、使徒書のコロサイの信徒への手紙に耳を傾けることにしましょう。先ほど読まれたのは冒頭の1節から14節でした。ここでパウロはコロサイの教会の人々のために祈っています。
「わたしたちは、いつもあなたがたのために祈り、わたしたちの主イエス・キリストの父である神に感謝しています。」1:3
ふと昨夜思い出しました。遠い昔、わたしの学生時代のことです。神さまを見失って苦しんでいたわたしは、何とか救いを見出したいと、もがくようにあちこち聖書をめくっていました。そしてたまたまこの箇所が目に留まり、「パウロがわたしのために祈ってくれている」と感じて、とても慰められた。奇妙な読み方かもしれませんが、こういうこともまた、与えられた恵みと思います。
コロサイは、今のトルコの内陸部の町です。パウロは、コロサイの教会のために祈りつつ、「感謝しています」と言います。パウロはこのコロサイに行ったことはなく、また特別コロサイの信徒から世話になったというわけではありません。それなのに何が感謝なのでしょうか。
「神に感謝しています。あなたがたがキリスト・イエスにおいて持っている信仰と、すべての聖なる者たちに対して抱いている愛について、聞いたからです。」1:3-4
会ったことはなくても、コロサイの教会の人々が信仰と愛によって生きていると聞いたことがこの上なくうれしい。そのゆえに神に感謝する。これが伝道者の思いです。
「あなたがたは、この福音を、わたしたちと共に仕えている仲間、愛するエパフラスから学びました。」1:7
エパフラスはパウロからイエス・キリストの福音を聞き、心を燃やされて故郷のコロサイに帰って伝道した。こうしてコロサイの教会が始まり、発展していきました。
そこまではよかったのですが、しかし今、非常に困った事態がコロサイの教会に起こっている、という話が伝わってきています。実はパウロもエパフラスも今、獄に捕らわれていて、直接コロサイに行って問題の解決に当たることができません。そこでパウロは祈りつつ、心を込めてコロサイの教会の人々にこの手紙を書いたのです。
……