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【説教】愛を身に着けなさい
コロサイの信徒への手紙 3:12-17
聖霊降臨後第8主日・2025年8月3日
上野聖ヨハネ教会にて
今週は8月6日、広島、9日、長崎の原爆の日を迎えます。あの日から80年。あらためて原爆の犠牲となった方々を追悼し、永遠の平安を祈りましょう。
今、この国が危険な方向に向かいつつあることを危惧します。「日本は核武装すべきだ」と主張する声が一部で力を得つつある。「核武装は最も安上がり」と唱える人(さや、塩入清香氏)が参議院議員に当選するという現実があります。このようなときにこそ、わたしたちは「平和を実現する人々は、幸いである/その人たちは地を受け継ぐ」(マタイ5:5)と言われた主イエスの声に、耳を傾け聞き従う者でありたい、と思います。
今日は、使徒書からパウロの呼びかけを聞きましょう。今日のコロサイの信徒への手紙はこう始まっていました。
「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。」3:12
少しこの手紙が書かれた事情に触れておきましょう。コロサイは、今のトルコの内陸部の町です。コロサイの教会を開始したのはエパフラスという人です(1:7)。彼はパウロからイエス・キリストの福音を聞き、心を燃やされて故郷のコロサイに帰って伝道した。こうしてコロサイの教会が始まり、発展していきました。
ところが今、非常に困った事態がコロサイの教会に起こっている、という話がパウロのもとに伝わってきました。実はパウロもエパフラスも今、獄に捕らわれていて、直接コロサイに行くことができません。そこでパウロは、心を込めてコロサイの教会の人々にこの手紙を書いたのです。
どういう問題がコロサイの教会に起こっていたのでしょうか。それは2章を読むとわかるのですが、間違ったことを信徒に教える有力者たちがいて、その結果信仰がずれてきてしまっているようなのです。
たとえば、「この世にはさまざまな、見えない霊の力が働いていて、人の幸不幸を左右する」などという教えです。それで何を食べてはいけないとか、どの日は何かをするのに良いとか悪いとか、そういったことが強調される。信徒は不安に動かされるようになり、教会全体がおかしな方向に傾きつつある。何とかこれを本来の信仰、本来の教会に戻したいと、パウロは祈りながらこの手紙を書いたのです。
何が教会の中心でしょうか。何がわたしたちの信仰の中心でしょうか。イエス・キリストです。このイエス・キリストが曖昧になってしまっています。
ほかの宗教にも深くすばらしいものがあると思います。それは尊重したい。けれども、どうしても他のものではなくて、キリスト教でなくてはならないものがあります。それは、イエス・キリスト以外のだれが、わたしのために死んでくださったか。イエス・キリストだけが、わたしたちの救いのために死んで、復活された。わたしの過去も現在も将来もすべてこの方が引き受けてくださったので、わたしはこの方を頼りに生きることができ、死ぬことができる。
平たく言えば、これが、パウロがコロサイの教会の人々に訴えたかった福音の中心です。
今日の箇所を読むと、命令というか勧告というか、「~しなさい」が連続しています。
「……憐れみの心、慈愛、謙遜……寛容を身に着けなさい」
「愛を身に着けなさい」
……