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【説教】幸せな人、それは主のおきてを喜ぶ人
詩編 1:1-7
聖霊降臨後第13主日・2025年9月7日
上野聖ヨハネ教会にて
今日は詩編をご一緒に味わってみたいと思います。
毎主日の礼拝においては必ず交唱する詩編ですが、皆さまは詩編に親しまれているでしょうか。
詩編は聖書の中の祈祷書とも呼ばれる祈りの詩集です。ここには個人の願い、感謝、賛美、懺悔、信仰告白など、さまざまな祈りが含まれています。と同時に、詩編は古くからイスラエルの信仰共同体の礼拝において唱えられ、あるいは歌われてきました。イエスさまの時代もそうですし、わたしたちもそれを引き継いでいます。
マルコによる福音書の「最後の晩餐」の場面の、その最後(14:26)を見ると、こう記されています。
「一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。」
ここで歌われた「賛美の歌」というのは、詩編115~118編だと言われています。その中にこういう言葉があります。
「神を敬う人の死は‖ 主の目に尊い」116:15(祈祷書)
主イエスはこれを弟子たちと一緒に歌いつつ、間近に迫ったご自身の死を思っておられたに違いありません。
わたし自身のことを言えば、若いときから精神的に危ういところがあって、詩編を頼りにしてきたところがあります。鞄の中には必ず詩編付きの新約聖書を入れていました。
もう30年以上も昔のことですが、東京の聖公会神学院の教師をしていたとき、全国の神学校の集まりがあって仙台に出張しました。家を出て、電車に乗ったのですが、そこで聖書を忘れてきたことに気づきました。たちまち不安に襲われました。そこで山手線の新宿で途中下車して、本屋を探し回って、詩編付きの新約聖書を購入して心を落ち着けた。そういう思い出があります。
前置きが長くなりました。今日は詩編の最初、第1編を先ほど唱えましたので、それを読んでみましょう(祈祷書所収の詩編)。
まず「幸せな人」から始まっています。何と幸せな人か、と詩編の作者、詩人が声を上げているのです。どんな人が幸せな人と言われているのでしょうか。
1 幸せな人、それは神に逆らう者の謀(はか)りごとに歩まず‖ 罪人の道に立たず、あざける者とともに座らない人
神に逆らって人を陥れるような陰謀に荷担しない人。人を見下して嘲笑するようなことをしない人。それが幸せな人なのですね。悪いことに加わらない人です。
先に否定的なことを述べましたが、次に肯定的、積極的なことを歌います。
2 主のおきてを喜び‖ そのおきてを昼も夜も思う人
これが幸せな人です。「主のおきて」というと、「命令」といった堅いイメージを持ってしまいますが、新共同訳などでは「主の教え」と訳されています。
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