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【説教】わたしが手を置いたことによって
テモテへの手紙Ⅱ 1:6-14
聖霊降臨後第17主日・2025年10月5日
上野聖ヨハネ教会
今日は使徒書に選ばれているパウロによる「テモテへの手紙Ⅱ」からお話しします。
ある時期にわたしはこの手紙が好きだというか、非常な共感をもって繰り返し読んでいたことがありました。それも信仰や愛について語っている箇所ではなく、パウロが怒っているところ、教会の中にある許しがたい現実を痛烈に批判している箇所に強く引かれたのです。たとえばパウロはこう書いています。
「その言葉は悪いはれ物のように広がります。その中には、ヒメナイとフィレトがいます。彼らは真理の道を踏み外し、復活はもう起こったと言って、ある人々の信仰を覆しています。しかし、神が据えられた堅固な基礎は揺るぎません。」2:17-19
実は今、テモテはこの種の人々によって非常に苦労させられているのです。テモテはエフェソという大きな町とその周辺の地域の教会の責任者。大勢の人々の信仰に責任を持つ牧師です。そのテモテがとても苦労し、疲弊して孤立感を味わっている。それを伝え聞いたパウロは、今、獄に捕らわれの身なのですが、何とか彼を支えたいと願ってこの手紙を書いたのでした。
もう一箇所読みましょう。
「主の僕たる者は争わず、すべての人に柔和に接し、教えることができ、よく忍び、反抗する者を優しく教え導かねばなりません。」2:24-25
これはパウロからのテモテへの助言ですね。その次です。
「神は彼らを悔い改めさせ、真理を認識させてくださるかもしれないのです。」2:24
彼らは大きな間違い、罪に陥って、悪いものを教会に広めている。その彼らを神は「悔い改めさせてくださるかもしれない」。「真理を認識させてくださるかもしれない」。そうでないかもしれないのです。
このようなパウロの率直痛烈な言葉を読んだとき、テモテは、「自分のことをわかっていてくれている。自分が心では思っても口では言えないことを、代わりに言葉にして怒ってくれている」と感じたのではないでしょうか。一緒に怒る、代わりに憤る。これが人の大きな助けになることがあるのです。
さて今日の最初のところを読みましょう。
「そういうわけで、わたしが手を置いたことによってあなたに与えられている神の賜物を、再び燃えたたせるように勧めます。神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。」1:6-7
「そういうわけで」はこの直前にパウロが書いたことを受けているのですが、どんなことを書いたのでしょうか。「わたしはあなたテモテの純真な信仰を思い起こしている」「あなたの涙を忘れることができない」と書いたのです。ほんとうにパウロはテモテを愛し、信頼してきた。かつて伝道旅行に出かけた際に、パウロはテモテを同行者、同労者として選んで旅し、一緒に労苦したこともありました(使徒言行録16:1-3)。そのようなこれまでの数々の大切なことを思いつつ、パウロはテモテに言うのです。
「わたしが手を置いたことによってあなたに与えられている神の賜物を、再び燃えたたせるように」
……