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【説教】主はわたしの牧者
詩編 23:1-6
降臨節前主日・2025年11月23日
京都聖三一教会にて
*
今日は降臨節前主日。1週間後にはクリスマスに備える降臨節(アドベント)が始まります。
今日は、先ほどご一緒に唱えた詩編第23編を味わってみましょう。この23編は、詩編の中でももっともよく親しまれているものだと思います。(本文は祈祷書のものを用います。)
遠い昔の信仰の詩人が、自分の経験してきたことを歌います。
1 主はわたしの牧者‖ わたしは乏しいことがない
2 神はわたしを緑の牧場に伏させ‖ 憩いの水辺に伴われる
主はわたしの牧者。わたしは羊であり、神がわたしの牧者、羊飼いです。神がわたしを守り、養い、導いてくださいます。この方のもとにいる限り、この方に従っていく限りは、大丈夫。わたしは乏しいことがない。
神は、疲れたわたしを緑の牧場に休ませてくださる。神に守られているので安心です。緑豊かな草をほしいだけ食べることができます。渇けば、牧者なる神はわたしを水辺に連れて行ってくださる。深い憩いがあります。
「憩いの水辺」は、文語訳、口語訳では「いこいのみぎわ」でしたが、新共同訳で「憩いの水のほとり」となり、数年前に出た聖書協会共同訳で「憩いの汀(みぎわ)」に回復されました。
「憩いの水辺に伴われる」ということがどれほどありがたいことか。ひどい渇きの苦しみを経験した人にはよく分かります。個人的なことで恐縮ですが、わたしの弱みのひとつは「渇き」です。もうずいぶん前のことですが、山道を車で走っていて、渇きが襲ってきました。もう10分も走れば水が手に入る。それなのによほど車を止めて、知らない人の家に駆け込んで「水をください」と言おうかと本気で思ったことがあります。その時は何とか辛抱しましたが。それで、今はどこへ出かけるにも、水筒を用意しています。
イエスさまが十字架の上で「渇く」と叫ばれたとき(ヨハネ19:28)、どんなに苦しかったことでしょうか。
3 神はわたしの魂を生き返らせ‖ み名のゆえにわたしを正しい道に導かれる
心が死ぬ、魂が死に瀕する、ということがあります。不安、恐怖、侮辱、差別、抑圧。人が人の魂を殺すようなことがある。この詩人はそれを経験したのでしょう。しかし「神はわたしの魂を生き返らせ」てくださる。道に迷ったわたしを、立ちすくんで動けなくなったわたしを、正しい道に導かれる。
「み名のゆえに」が少しわかりにくいですが、「み名」とは神の名。神の名前とは神の本質のことです。神の本質とは「真実であること」だと理解してみましょう。神はその真実のゆえに、言い換えればわたしたちに対する変わらぬ真心のゆえに「わたしを正しい道に導かれる」。
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