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【説教】わたしたちはその栄光を見た
ヨハネによる福音書 1:1-18
降誕後第1主日・2025年12月28日
京都聖三一教会にて
*
「言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」ヨハネによる福音書1:14
ヨハネ福音書は、クリスマスの出来事をこのように語っています。
「言は肉となった」
「言」とは神の言葉です。神はひとり超然としているのではなく、語りかける方です。これが聖書の伝える神です。
その神が「肉」となって、つまり人間の赤ちゃんになって、わたしたちの間に宿られた。わたしたち人間のひとりとなられた。血も涙も汗もある人間となられた。あり得ない、考えられないことです。しかしこれが聖書の福音です。神さまはわたしたちに対する愛のゆえに、そのことをなさった。わたしたちの重荷と悩みを担うために、わたしたちと同じになられた。その不思議な恵みの事実を、今日の福音書はわたしたちに知らせようと語りかけています。
「言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。」
前半は「言が肉となって、わたしたちの間に宿られた」という事実を告げています。神のみ子の降誕の出来事を端的に伝えています。
後半はどうでしょうか。「わたしたちはその栄光を見た」。主語は「わたしたち」です。「わたしたち」とはこの福音書記者のヨハネとその周りの人びとのことでしょう。そのヨハネらが「見た」というのです。「わたしたちはその栄光を見た」。これは証言です。
ぼんやりとそんなふうに見えたとか、そんな気がする、というのではありません。はっきりと見た、目撃した。見たその事実、その出来事は、見た人たちを感動させ、心と体に浸透したのです。
「わたしたちはその栄光を見た」
クリスマスの出来事、神の言葉が人となられたという出来事の中に、神の力と命と愛が溢れ輝いている。その強く暖かい愛の光に照らされ、包まれた人びとは、こう口にせざるを得ませんでした。
「それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」
神の恵みがここに溢れ、神の真理と真実がここに輝いている。それを見た以上は、それを人に語らずにはいられない。疑われても拒否されても、ためらったりひるんだりせずに、その目撃した出来事──愛に満ちたみ子イエス・キリストの輝きを──はっきりと伝えずにはおれない。たとえそのことで不利益をこうむったり馬鹿にされたり、迫害を受けたとしても、見た事実を語る。経験した事柄を語る。これが証言です。言わば自分を賭けた、命を賭けたこの証言が教会を誕生させたのです。
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