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【説教】イエスの洗礼
マタイによる福音書 3:13-17
顕現後第1主日・主イエス洗礼の日
2026年1月11日
聖光教会にて
*
今日の旧約聖書日課を聞いて思い出すことがあります。
「見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にわたしの霊は置かれ……。彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷(ちまた)に響かせない。傷ついた葦を折ることなく、暗くなってゆく灯心を消すことなく、裁きを導き出して、確かなものとする。」イザヤ書42:1-3
これは46年前、わたしの司祭按手式で朗読された言葉です。その時の説教者は法用渉司祭(後、中部教区主教。故人)でした。わたしは司祭志願者として会衆席の最前列に座っていたのですが、チャンセルにおられた法用先生は説教の前、礼拝の進行中、かなり長い間ひざまずいて祈っておられました。その姿とイザヤ書の言葉が重なって、今も思い出されます。感謝です。
このイザヤ書の言葉は、イエスの洗礼とつながっています。神が愛する僕に呼びかけ、ご自身の霊を与えられるからです。
さて今日は主イエス洗礼の日です。イエスの洗礼はわたしたちの洗礼の土台であり原点です。
「エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。」マタイによる福音書3:5-6
ヨハネが語るのを聞いて、人々は神を感じたのです。これまで信じてはいたけれどもありありとは感じていなかった神。その神が生きておられる。しかも自分の前におられると感じたとき、畏れが生じ、心に痛みが起こりました。自分の過ちと神への不誠実を知ったからです。人々はそのままではいられなかった。ヨハネのところに行って、自分の罪を告白しました。ヨハネの前でヨルダン川の水に自分を沈めて、水から上がったとき、古い自分が死んで、新しく生きることを許された新しい自分が始まっていることを知りました。神の赦しを受けた平安と喜びが起こりました。
そうしたある日、イエスが同じように洗礼を受けようとしてヨハネのもとにやって来ました。ヨハネは驚き、それを思いとどまらせようとしました。ヨハネはすでに、イエスが神から来られた特別な方であることを知っていたからです。ヨハネは言いました。
「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」3:14
神の赦しを現実に人々にもたらすのはイエスであって、自分はそのための準備をしているに過ぎない、とヨハネは信じていたからです。けれどもイエスは強いてヨハネから洗礼を受けられました。
ここに非常に大切なことがこめられています。イエスは神の子として罪のない方であるのに、罪あるわたしたち人間と一つになられた、ということです。イエスは本来、人を赦して人を救う方であるのに、赦しを必要とする、救いを必要とするわたしたちと同じ立場に立ってくださった。イエスは言わば本来天の存在、天の方であるのに、地上に来られて、地の人となって、この地上に苦しむ人々と一つになられた。イエスはわたしたちの抱える困難、苦しみを分かってくださる。分かるだけではなく、わたしたちの困難と苦しみを一緒に引き受けてくださるのです。これはクリスマスの意味でもあります。
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