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地の中からのイエスの祈り
ヘブライ12:22-24
「あなたがたが近づいたのは、シオンの山、生ける神の都、……新しい契約の仲介者イエス、そして、アベルの血よりも立派に語る注がれた血です。」12:22‐24
信仰の歩みにおいて、私たちは元気で前向きの時もあります。しかし元気でない時、神さまが遠ざかってしまい、何の助けも支えも感じられなくなることがあります。紀元90年頃のローマの教会とそこにつながる人々がそうでした。
当時のローマ皇帝はドミティアヌス。彼は自分をこう呼ぶように要求しました。“dominus et deus”「主にして神」、「主なる神」。自分が人から崇められることを要求し、それにへつらってその者を崇める人々が周りを囲む。それが行き着く果てが 人の神格化です。人間の神格化は20世紀にも起こりました。ヒトラー、スターリン、毛沢東、金日成、日本の天皇もそうです。
「主にして神」──皇帝ドミティアヌスをこう呼ばなければ迫害を受けることを覚悟しなければなりません。ドミティアヌスは敵対する者たちを探り出すため に疑わしい人々を拷問にかけ、手を切り落としました。ドミティアヌスに批判的な哲学者──今で言うと知識人──はことごとく追放されました。このような中 でイエスを信じる人々は、不安と恐怖のうちに過ごさざるを得ませんでした。
イエスを信じる者は初めから迫害の中で成長し、増え続けてきました。かつてはイエスの生き証人がいました。イエスの直弟子がいました。信仰の情熱が燃え ていました。しかしそれは過去のものとなった。教会の制度は整ってきたけれども、信仰の火は衰えています。外からは迫害が迫り、内には力がない。足もとが 揺らいでいる。このような危機にどうして耐え、それを乗り越えることができるか。そのために心を砕いて祈り、人々を力づけようとして書かれたのが、この 「ヘブライ人への手紙」です。
足もとが揺らいでいる。土台が崩れていくような不安を感じている人がたくさんいる。しかし「うろたえないで耳を澄ましなさい」と手紙の筆者は言います。あなたの立っているその足もとから、あなたがたの下の大地から、その地の中から声が聞こえているではないか。
ローマ帝国の迫害によってあなたがたの先輩、兄弟姉妹の血が流されて大地にしみこんだ。その地の中から、祈る声がする。イエスが十字架の上で流された血、大地に注がれたイエスの血が、天に向かって呼びかけ叫んでいる。
「わたしを信じるこの人たちを守ってください。迫害にさらされているこのわたしの兄弟姉妹たちを守ってください。」
イエスの血の訴えが天に届いている。地下からイエスの祈りが地上の私たちをとおって天に達している。それが「アベルの血よりも立派に語る注がれた血」(ヘブライ12:24)という言葉の意味です。
ところで「アベルの血」とは何でしょうか。アベルは、世界で4番目の人類です。最初の夫婦がアダムとエバ。その二人に生まれたのがカインとアベルでした。人類の最初の兄弟です。その兄のカインが弟のアベルを殺した。創世記第4章の物語です。神はカインに問われました。
「あなたの弟アベルはどこにいるのか。」
「知りません。わたしが弟の番人でしょうか。」
「何ということをしたのか。あなたの弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる。」
殺されたアベルの血が天に向かって叫んだ。その叫びは天に届いた。神はその声を聞かれた。神はそれを放置されなかった。アベルの血が天に届くほど強く語 るものであったとすれば、まして十字架に流され地に注がれたイエスの血は、もっと強く天に向かって叫び、もっと激しく神を揺り動かさずにはいない。「アベ ルの血よりも立派に語る注がれた血」です。
地の中から叫ぶイエスの血は激しい祈りを表わします。
地から叫ぶイエスの祈りは、すべての苦しみ苦しめられた人々の叫びを代弁します。
無理やり戦争に連れて行かれ、異国で命を失った人々。ビルマ(ミャンマー)のインパールの山の中で、数知れぬ日本の若人が重い荷物を負って行軍させら れ、道に倒れて死んでいきました。中国の山東半島では、平和な暮らしをしていた村人たちが日本軍に捕らえられ、腹を突き刺されて死にました。悲しみ、無 念、絶望、理不尽の中に生涯を終えた人々。訴えることもできずに死んでいったすべての人々の思いを、イエスが引き受けられる。イエスの血がその人々の訴え を代弁しています。
しかしイエスの地の中からの祈りは、人を苦しめ、死に追いやった人々のための執り成しの祈りでもあります。その罪がつぐなわれなければその人は救われな い。人の罪をつぐなうために、人の罪を覆うために、イエスの十字架がある。「この罪を彼らに負わせないでください。」イエスの祈りはご自分のいのちをかけ ての執り成しです。
しかし、地の中からのイエスの祈りは、神への賛美です。このように恐ろしい、このように絶望的な世界が、しかしやがて必ず神の恵みに満ちた世界に変えら れる。「御国が来ますように」という祈りは必ず実現に至る。人のぬぐうことのできない涙を、神がぬぐってくださる時が来る。神の国は今、闇の中に、迫害の 中に、実現し始めている。悪ではなく、神の恵みが勝利する。そのしるしをイエスは見ておられるので、地の中からのイエスの祈りは賛美となるのです。
外から圧迫され、内には力を失っている人たち、あなたがたの足もとから、あなたがたの立っている大地の中から祈っておられるイエスの祈りを聞きなさい。あなたがたを守られるイエスの祈りを聞きなさい。
イエスは人の嘆きを代弁し、不当に流された血を悼んでおられる。罪人の救いのために執り成しておられる。この世界に神の国が実現しつつあることを見て神 を賛美しておられる。イエスの叫びと執り成しと賛美が、あなたがたを足もとから支えている。イエスが地の中から祈っておられるから、あなたがたも祈ること ができる。人をいたみ、人のために執り成し、神を賛美することができる。
ローマの教会の人たちは、ドミティアヌスの要求を拒み、皇帝をけっして「主にして神」とは呼びませんでした。「主にして神」「主なる神」の名は、ただイエス・キリストとその父なる神を呼ぶときだけに許されるのです。
ローマの人々がこの手紙を読んだ数年後、ドミティアヌスは突然死にました。彼は自分の妻によって殺されました。悪の支配を神は終わらせてくださるのです。