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その衣を小羊の血で白くした
ヨハネの黙示録7:9-17
2019年10月27日・諸聖徒日
奈良基督教会での説教
今日、わたしたちはすでに地上の生涯を終えて天に召された方々を記念して、その方々の平安を祈るために礼拝をささげています。同時に、わたしたちが地上で礼拝をささげている今、この時に、天においても礼拝がささげられていることを心にとめたいと思います。
ここでの礼拝は天における礼拝とつながっている。祈りにおいて、礼拝において、わたしたちはわたしたちの大切な人々と確実につながっているのです。このことを教会は「聖徒の交わり」、聖なる神の僕どうしの交わり、と呼んできました。
その今日の礼拝に相応しく、先ほど朗読された使徒書、ヨハネの黙示録第7章には、天上の礼拝の光景が描かれていました。
「この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、大声でこう叫んだ。『救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのものである。』」7:9-10
この大群衆が礼拝をささげている。その光景を見ている「わたし」とは、だれでしょうか。それはヨハネと呼ばれる初代教会の指導者です。おそらくは主イエスの直弟子ヨハネとは別人でしょうが、このヨハネはキリスト教迫害の中で捕らえられて、地中海のパトモスという島に閉じ込められていました。ある主日に彼が祈っていたとき、不思議なことが起こりました。体は地上にあるのに、霊においては天に上げられて、天上の礼拝を目撃したのです。
あらゆる民族の中から集まった数え切れないほどの大群衆が、玉座、つまり神の前で、そして小羊、つまりイエス・キリストの前に立って祈っています。ヨハネの目に非常に印象的にうつったのは、その大群衆のだれもが「白い衣」を身に着けていたことです。白い衣が美しく、まばゆいばかりに輝いています。
すると礼拝をささげていた天の長老のひとりが、ヨハネに問いかけました。
「この白い衣を着た者たちは、だれか。また、どこから来たのか。」7:13
ヨハネは答えて言いました。
「わたしの主よ、それはあなたの方がご存じです。」7:14
すると天の長老はこう答えました。
「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。」7:14
その白い衣には深い意味があったのです。今、天で礼拝をささげている非常に多くの人たちは「大きな苦難を通って来た者」である、と。地上での人生において非常な苦しみと困難を経験してきた。心も体もひどく傷ついてしまった。純真無垢で生まれてきたはずなのに、この世においては悪と戦い、誘惑にさらされて、過ちも重ね、言わば身に着けていた服は破れ、どろどろに汚れてしまった。
しかしこの人たちにこそ、イエス・キリストの愛が注がれました。ご自分の命を神にささげられたイエス・キリスト──神の小羊が、その人々の衣も体も心もすべて洗い清めて、まっさらにしてくださった。十字架に傷つけられたキリストが、ご自身の傷によって人々の傷を癒し、破れを繕い、輝く白い衣を着せてくださった。その人々が今、天において神とキリストに感謝と賛美の礼拝をささげているのです。
輝く白い衣。これは新約聖書のどこかに出て来ました。
イエスさまが、高い山の上で祈っておられたとき、「イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた」(ルカ9:29)とルカ福音書は伝えています。
今、天上で白い衣を着て礼拝をささげている人々は、あのイエスさまの輝く衣をいただいているのです。
「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。」7:14
輝く白い衣を身に着けた天上で礼拝する人々の姿を、迫害に苦しむヨハネは目撃し、その白く輝く衣の意味を彼は天の長老から教えられました。
ここからわたしたちは、三つのことを知って心にとめたいと思います。
第1に、わたしたちが今日記念する、世を去った大切な方々も、今、輝く白い衣を身に着けて、天上で神さまを礼拝しておられる。傷を癒され、清められて、神の愛の祝福に守られているのです。
しかし第2に、これは当然のことではありません。わたしたちは土から生まれた弱くもろい人間であり、土に帰るしかなかった。しかし、その弱さを、その痛みを、その労苦を、神の小羊キリストが深く顧みてくださって、限りない愛を注いでくださった。キリストが十字架に傷ついて、ご自分の血を流された。そのキリストの血は限りない愛の血、人の傷を癒し、罪を赦し、永遠の命を与える血です。そのキリストの苦難の血が、人々の内も外も清めてまっさらにしてくださった。わたしたちの大切な方々が白い衣を着せられて輝いている。それは神の小羊キリストの尊い愛によるものなのです。
第3に、わたしたちは心にとめましょう。天上の礼拝する人々も地上で礼拝するわたしたちも、イエス・キリストの愛の光に包まれています。天と地を包む大きな光、愛の光です。地上のわたしたちも実は白い衣を着せられている。それにはイエスさまの願いがあります。
愛の光を広げてほしい。正しく良いことを実践して広げてほしい。やがてあなたがたは顔と顔を合わせてわたしと会うのだから、その時に向けて、一緒に神の国を広げていこう。あなたがたの祈りと働きを、天の人々が祈りつつ支えてくれているのだから。
祈ります。
神さま、今日、先に召された人々をおぼえて祈る時を与えてくださったことを感謝いたします。わたしたちすべての傷を、ご自身の傷によって癒し清めてくださったイエスさまの愛を、天にも地にも満たしてください。天に召された人々にも地上に生きるわたしたちにも、主の平安をお与えくださり、聖徒の交わりを楽しませてください。アーメン