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ヨハネ2:13-22
2021年3月7日・大斎節第3主日
上野聖ヨハネ教会にて
「ユダヤ人の過越祭(すぎこしさい)が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。」ヨハネ2:13
イエスは弟子たちと一緒にエルサレムに行かれました。過越祭の礼拝に参加するためです。エルサレムの神殿は神の家と呼ばれてきました。神の家は祈りの家。人々の生活と信仰の拠り所でした。
詩編にはエルサレムへの巡礼の歌がいくつか収められています。そのひとつにこんな言葉があります。
「主の家に行こう、と人々が言ったとき
わたしはうれしかった。」122:1
主の家に行くことは喜び。神を礼拝することは幸せ──その思いが歌われています。
このエルサレムの神殿には、イエスは子どもの頃から毎年、過越の祭のときにナザレの町の人々と一緒に来られていました。
主イエスが12歳の過越祭のときも、ナザレの村の人たちと一緒に来られました。それが終わっての帰り道、両親はイエスがいないことに気づき、非常に心配してエルサレムに引き返したところ、イエスはこの神殿の境内で聖書の学者たちと語り合っていました。母マリアが「どうしてこんなことをして心配させたのか」と尋ねるとイエスは、「僕(ぼく)が僕のお父さんのところにいるのが分からなかった?」と答えられました。神は自分のお父さん。エルサレムの神殿はイエスさまにとって自分のお父さんのところだったのです(ルカ2:49)。
お父さんのところ、神の家は、真心からの祈りと平安の場所であるはずでした。
さて、あの12歳の時からおよそ20年たって、同じ過越の祭の礼拝のために、イエスは弟子たちと一緒にエルサレムに上り、神殿の境内に入って来られました。その時、イエスが見られたのは、あるまじき光景でした。
……