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【説教】わたしは彼をいやす

イザヤ書57:17-19

2021年7月18日・聖霊降臨後第8主日
聖光教会にて

「わたしは彼の道を見た。
わたしは彼をいやし、休ませ
慰めをもって彼を回復させよう。」イザヤ57:18

 神が、ひとりの人を見つめておられます。あるいはひとりの人ではなくて集団なのかもしれないのですが、まずはひとりの人として読んでみます。
「わたしは彼の道を見た。」
 「彼の道」と言われています。彼が生きてきた歩み。これまでのありよう。今の彼の現実、そして彼の内面──それらすべてを神がご覧になりました。

 彼の道──この人はどういう生き方をしてきたのか。ひとつ前の17節にはっきりと書かれています。
 「貪欲な彼の罪をわたしは怒り、彼を打ち、怒って姿を隠した。彼は背き続け、心のままに歩んだ。」57:17
 彼は一言で言って貪欲だったのです。持っている上にさらに人からむさぼり取って、自分のために富に富を増し加える。人を苦しめ、人を貧困に追い込んでまで自分の欲を満たしていく。こういう彼のあり方に対して神は怒られました。
 「貪欲な彼の罪をわたしは怒り、彼を打ち、怒って姿を隠した。」57:17
 神は彼を打って懲らしめられたけれども、なお彼の貪欲はやみません。ついに神は彼を放置し、ご自身を彼から隠してしまわれました。それでも彼は「背き続け、心のままに歩んだ。」
 彼は神に背きつづけ、自分の貪欲な心のままに歩んだというのです。

 しかしそれから年月を経て、彼の行き着いた所はどこだったでしょうか。破滅の瀬戸際です。彼は自ら貪欲の火に身を焼かれ、疲れ果て、平安はなく、深く病んでしまいました。これまでの自分を後悔する思いは強く、嘆き苦しんでいます。けれどももはや自分から神に救いを求める力はありません。これが、彼の陥った現実です。

 このような彼に対して、神さまはどうなのでしょう。かつて怒って彼から姿を隠された神は、もう彼を顧みてはくださらないのでしょうか。そうではない、というのが今日のイザヤ書です。

……