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弟の印象画【尹東柱の詩 4】
弟の印象画
赤い額に 冷たい月が差し
弟の顔は 悲しい絵だ。
そっと幼い手を握って
「お前は大きくなったら何になる」
「人になる」
弟の悲しい ほんとうに悲しい答だ。
そおっと 握っていた手を放し
弟の顔を もう一度見つめる。
冷たい月が 赤い額に濡れ、
弟の顔は 悲しい絵だ。
*
아우의 인상화
붉은 이마에 싸늘한 달이 서리어
아우의 얼굴은 슬픈 그림이다.
발걸음을 멈추어
살그머니 애딘 손을 잡으며
“너는 자라 무엇이 되려니”
“사람이 되지”
아우의 설운 진정코 설운 대답이다.
슬며 ─ 시 잡았던 손을 놓고
아우의 얼굴을 다시 들여다본다.
싸늘한 달이 붉은 이마에 젖어,
아우의 얼굴은 슬픈 그림이다.
1938.9.15
「悲しい」(3回)と感じるのは、弟を心から愛しているからでしょう。
この詩を書いたとき、尹東柱は延禧専門学校の1年生で満20歳、弟の尹一柱(ユンイルジュ)は10歳でした。十も年が離れています。
詩の日付は1938年9月15日となっています。この日付は重大です。というのは、その5日前の9月10日、朝鮮総督府の強要によって、朝鮮イエス教長老会[長老教会の正式名]総会は神社参拝決議をしたのです。総会が開かれたのは場所は平壤(ピョンヤン)西門外教会。尹東柱のその家族は長老教会の信徒です。家族の暮らす故郷は、行政的には朝鮮ではなく「満州国」間島省なのですが、教会としては朝鮮イエス教長老会東満老会[教区]龍井(ヨンジョン)中央教会に属していました。
2年前、尹東柱は崇実(スンシル)中学校(平壤)の時代、当局の学校に対する神社参拝強要に抗議して自主退学したのでした。崇実中学校は長老教会に属する学校です。
この詩を完成させた時点で、尹東柱が長老教会総会の神社参拝決議を知っていたかどうかはわかりません。しかし日本の圧政下にあって、それなりに「人になる」ようなどんな明るい未来がありうるのか。そういう思いが、弟の「人になる」という答えを聞いたときに湧き起こってきたのかもしれません。