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【説教】主の霊がわたしの上に
ルカによる福音書 4:14-21
2025年1月26日・顕現後第3主日
京都聖三一教会にて
今日の聖書からわたしたちは、二つの礼拝、二つの聖書朗読のことを聞きました。一つは旧約聖書・ネヘミヤ記から、もう一つはルカ福音書からです。
ネヘミヤ記のほうでは、多くの人々がエルサレムの水の門の前の広場に集まって、夜明けから正午まで、およそ6時間、聖書の朗読を聞いた。その結果何が起こったかというと、「民は皆、律法の言葉を聞いて泣いていた」(8:9)というのです。聖書の朗読を聞いて、自分たちの過ち、神への背きを痛切に感じた。同時に、それでもなお自分たち見捨てず、招いていてくださる神を知った。そこで涙とともに悔い改めと、新しく生きようとする決意が生まれた。これが今日の旧約聖書です。
もう一つはルカによる福音書。イエスは故郷のナザレの会堂礼拝に出席し、聖書を朗読された。人々に非常な驚きが起こった。「会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた」(4:20)と記されています。
この二つの礼拝の間にはおよそ500年の開きがあるのですが、いずれも礼拝に集まって聖書が朗読され、その言葉が聞く人の心を揺り動かしたことが共通しています。
わたしたちもいま、集まって礼拝をささげ、聖書の朗読を聞いたのですが、願わくはわたしたちの礼拝においても、神さまが聖書をとおしてわたしたちに語りかけてくださるように。わたしたちの心に驚きや感動を引き起こして、わたしたちを新しくしてくださるように、切に願います。
さて今日の福音書の冒頭です。
「イエスは“霊”の力に満ちてガリラヤに帰られた。その評判が周りの地方一帯に広まった。」ルカ4:14
どこから帰られたのでしょうか。あの40日の荒野の誘惑からです。公に活動を開始される前、イエスは荒野で悪魔に苦しめられ、聖書の言葉を頼りに切に祈り通して耐えられた。誘惑を克服されたとき、神の霊がイエスを包んだ。イエスが霊の力に満たされて活動されたからこそ、その評判が広まり、尊敬を受けることになったのでした。
ルカ福音書を読み返してみると、イエスが洗礼を受けて祈っておられたとき、「天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降(くだ)って来た」(3:22)と書かれています。
マリアは聖霊によってイエスを身ごもり(1:35)、イエスは洗礼に際して聖霊を受け、また悪魔の誘惑を克服して聖霊の力に満たされた。このようにルカ福音書が神の霊、聖霊を強調していることに注目しつつ、今日のナザレの会堂礼拝の箇所を読んでみましょう。
「イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。 預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。『主の霊がわたしの上におられる。……』」4:16-18
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