- - 【説教】夕べになっても光がある
- - 【聖餐式の言葉 15】天におられるわたしたちの父よ(主の祈り)
- - 【聖餐式の言葉から 14】取って食べなさい
- - 【説教】見よ、その方が来られる
- - 【説教】終わりまであなたの道を
- - 【説教】牧者となられるイエス
- - 【説教】わたしを憐れんでください──バルティマイの叫び
- - 【講話】イエスが祈られた「主の祈り」
- - 【説教】背いた者のために執り成しをしたのは
- - 【説教】御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ
- - 大韓聖公会ソウル教区 金エリヤ主教 就任の辞
- - 【説教】ねたむほどに愛される神
- - 【説教】慰め励ましてくださる神
- - 【一日を終える祈り】
- - 【説教】悪魔の策略に対抗して
- - 【国境を越えて老司祭と分かち合った尹東柱の物語】
- - 【礼拝のための祈り】
- - 【説教】あなたこそ神の聖者
- - 【説教】命を得るために
- - 【聖餐式の言葉から 13】
【説教】主イエス・キリストの恵み 2020/6/9
創世記1:1-3
コリント二 13:11-13
2020年6月7日 三位一体主日・聖霊降臨後第1主日
上野聖ヨハネ教会での説教
もう15年以上も前のことです。ある晩、大きな叫び声が外から聞こえてきました。出て見ると牧師館の前にひとりの信徒が倒れそうな状態で、わたしに言うのです。
「祝祷ください、祝祷ください、祝祷ください……」
祝祷というのは、教会に馴染んでおられる方はよくご存じでしょう。礼拝や集会の最後に唱える祝福の祈りです。祈祷書に繰り返し出て来ます。
「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、わたしたちとともにありますように。アーメン」
事情がわかりませんが、とにかくその方は「祝祷ください」と言うので、わたしは言われたとおりに祝祷を唱えました。
「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、わたしたちとともにありますように。」
あまりに苦しそうだったので、背中をさすりながら言いました。
「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたとともにありますように。アーメン」
しばらくするとその人は落ち着いて、「ありがとうございました」と言って帰って行きました。あんな対応でよかったのかどうかずっと気がかりでしたが、その後に出会ったとき、元気そうだったので、深い話もしないままに過ぎてしまいました。
その祝祷が今日の使徒書の最後に出て来ました。パウロの書いたコリントの信徒への手紙二の第13章。その最後の祈りです。
「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。」13:13
わたしたちの祝祷はここから来ています。パウロは宛先のコリントの人々に向かって祈っているので、「あなたがた一同と共に」と言っているのですが、わたしたちの教会ではそれを「わたしたちとともに」と変えて用いているのです。
「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、わたしたちとともにありますように。アーメン」
これは何を祈っているのでしょうか。あの夜、祝祷を求めてやって来た人が期待したような救い力がこの祈りにはあるのでしょうか。
今日は三位一体主日。父と子と聖霊なる三位一体の神を特に心にとめて賛美する日です。祝祷の元になったこのパウロの祈りの中に、三位一体が込められています。
「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。」13:13
それで今日はこの三つを、短くときほぐしてみることにしましょう。
まず第1に「主イエス・キリストの恵み」です。あまりにも聞き慣れた言葉なので何も感じずに通り過ぎてしまいそうです。けれどもこの主イエス・キリストの恵みを経験した最初の人々は、この言葉を口にし、文字にするとき、特別な心の高まりを覚えていました。
たとえばヨハネ福音書記者はこう言います。
「言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」1:14
クリスマスの出来事を歌っています。神の子が肉体をもった人間となって、赤ちゃんとなってわたしたちのところに来られた。その方から発せられる光──この地上にはない、清らかで温かな光がわたしたちを包みます。純粋で真実な恵みの光がわたしたちの中に浸透し、わたしたちの目と心を清めて真理に目覚めさせてくれます。この方、イエス・キリストがわたしたちを罪と闇を引き受けて、ご自分は死んでわたしたちを新しく生かしてくださいます。キリストの恵みはわたしたちを引き寄せて、わたしたちをご自身のものとします。この方の恵みこそが人を生かし、世を救うのです。困難を抱えた人のために、主イエス・キリストの恵みが注がれるように祈らずにはいられません。
第2は「神の愛」です。神はどのような方であって、どのように働かれるのか。その最初の働きを今日の旧約聖書が伝えています。聖書の始まり、創世記の冒頭です。
「1 初めに、神は天地を創造された。2 地は混沌であって、闇が深淵の面(おもて)にあり、神の霊が水の面(おもて)を動いていた。3 神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった。」
これは宇宙の始まりを科学的に説明しようというものではありません。2節の言葉に注意してみます。「混沌」「闇」「深淵」。いずれも恐ろしい言葉です。秩序は破壊され、混乱の中で何の支えもなく、底知れぬ闇の中に閉じ込められて何の希望もない。しかしこの「混沌」「闇」「深淵」の水の面(おもて)を神の霊が動いている。神が何かをなそうとしておられるらしい。何でしょうか。
「神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった。」
「混沌」「闇」「深淵」。これはわたしたちの世界、わたしたち人間の現実のことなのです。混沌と闇の中で滅び沈んでいくしかないと思われた現実。そのわたしたちの現実に向かって神が呼びかけられる。
「光あれ。」すると光があった。
神さまはわたしたちのつらい現実、希望のない現実をご存じです。しかし神はわたしたちを愛しておられるがゆえにわたしたちを闇と混沌の中に放置されない。光のないわたしたちに向かって呼びかけて「光あれ」と言われる。するとわたしたちの前に、わたしたちの周りに、わたしたちの中に、神の光が照りだす。希望が生じる。神がわたしたちを愛される、その愛のゆえに、「光あれ」と呼びかけて光を造り出してくださる。それはわたしたちが希望をもってしっかりと生きるためです。これが聖書の冒頭です。
そして神はわたしたちを愛するがゆえに、み子イエス・キリストをわたしたちに送ってくださいました。
神の愛がわたしたちとともにありますように。
第3は「聖霊の交わり」です。これは何でしょうか。交わりとは「交流」です。何と何の交流か。神さまとわたしたちの交流です。聖霊は神さまとわたしたちを交流させてくださる。神の愛がわたしたちの中に注ぎ込まれて、反対にわたしたちの思いが神に注がれて、そのようにして神さまとわたしたちの間に真心と愛の交流が起こる。神はわたしたちに疎遠な方ではなく、わたしたちを生かす生きた方であることを聖霊はわたしたちに経験させる。わたしたちと神とを出会わせ、結び合わせ、命の交流をさせてくださる。これが聖霊の交わり、聖霊が与えてくださる交わりです。聖霊はイエスさまの声をわたしたちに聞かせ、イエスさまの命をわたしたちに注いでくださいます。
同時に聖霊は、わたしたちの間に働いてくださいます。わたしたちの間に真心の交流が起こり、信頼と愛と協力が生じます。
聖霊の交わりがわたしたちとともにありますように。
主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりは人を、わたしたちを、世界を救う力を持っています。それですから、わたしたちは祝祷を唱え、あるいは聞くとき、大切にしたい。主イエス・キリストの恵みがわたしたちを包み、神の愛がわたしたちを浸し、聖霊の交わりがわたしたちを潤し生かしてくださることを信じ期待して、アーメンを一緒にしっかり唱えましょう。祝祷の中で三位一体の神が働いてくださるのです。
ご一緒に心をこめて祝祷を唱え、祈りましょう。
「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、わたしたちとともにありますように。アーメン」